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名言の彼方に【めいげんのかなたに】

前エントリの「十全外人_ガメ・オベール_大庭亀夫」の衝撃か(^^;)アクセスがお盆時期にもかかわらず減らない(爆)・・・と言いたいところだったが、ここ数日で一番アクセスを稼いでいるのはトップページではなく「玉音」だった。今上陛下の「お言葉」が「平成の玉音放送」と認識され、陛下にしては珍しく極めて個人的なお話に終止し、その心の葛藤を庶民に開示された点は、象徴天皇らしい「悩める国家元首」の姿は、陛下には申し訳ないが非常に新鮮に見えた。

「十全外人」という、その言葉の裏にある葛藤をしのばせる「号」を名乗るガメ・オベール氏の「十全(paerfectの意味?)」という「完全な外人」を言い換える言葉選びのセンスに、日本人以上の思慮深さや思い切りの良さを感じるとともに、アングロサクソンの代名詞とも言えるイギリス系富裕層の強かささえ漂わせる「タダモノではない」感が、未だに私の脳髄を刺激し続ける(^^;)ある意味で「陛下のお言葉のように新鮮であった」のは確かだ(^^;)

あの神社は、日本人の欺瞞と嘘の象徴なのではないか?
終戦記念日:ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日(August 14, 2016)

あの神社とは紛れも無く靖国神社のことである。直近のエントリのあえてこの一文を「名言」として刻もうと思う。そして感情的な反発ではなく、その時代に思いを馳せ、先人たちの不遇すぎる命の記憶を背に私は反論を試みる。

靖国神社

すべての事象には陽と陰、プラスとマイナス、正と邪といった両極の特性が見い出せる。おそらく、ある程度の知識的素養を持つものなら、当時の日米のGDP(国民総生産)などの国力比較において、かつて日露戦争で戦ったロシア以上に勝利の難しい敵であることは判断できたはずだし、勝利できる可能性が恐ろしく低いことも推察できたはずである。

また、ガメ・オベール氏(を含む旧軍に批判的な人々)の「1945年8月15日は「せめて、あと一勝」と自分を神と崇める国を有利な講和に導こうと頓珍漢な努力を繰り返した昭和天皇が、二発の核爆弾に青ざめて戦争の続行をついに諦めた日」は、最も辛辣な評価であり、最高に否定的な分析であることは間違いないし、そのような面が「必ず存在した」であろうことは私も認めるのである。

が、無抵抗に敗北することと、頑強な抵抗の後に敗北することではその後の影響において雲泥の差がある。

同じ太平洋での戦いでパラオ諸島のペリリュー島の戦いにおける海兵隊の評価を見てみよう。

ペリリュー戦への評価:wiki
ペリリューの戦い
アメリカ海兵隊の評価は「日本軍はアメリカ軍に多大な犠牲を負わせる事によって、長期に渡る遅滞・流血戦術を実行する事に成功した。ペリリューで被った多大なコストは、日本に向けて太平洋を進む連合軍に大きな警鐘を鳴らした。海空で圧倒的優勢であり、莫大な量の艦砲射撃やナパーム弾を含む爆撃と4倍にもなる兵力差であったにも拘わらず、日本兵1名の戦死ごとにアメリカ兵1名の死傷と1,589ラウンズの重火器及び小火器の弾薬を要した。この戦いは数か月後には硫黄島と沖縄での、日本軍の見事に指揮された防御戦術に繋がる事となった。」と中川大佐による、アメリカ軍になるべく多くの出血を強い、長い期間ペリリュー島に足止めする作戦が成功し、日本軍の頑強な抵抗が、後の硫黄島戦と沖縄戦の前哨戦となったと評価している。

抵抗の強さは相手側のさらなる激烈な攻撃を呼ぶことは必至であり、被害を軽減する意図を再優先するならば最悪の選択であったのは間違いない。しかし、その当時の日本軍は被害の代償を全く考えずに、完全なる消耗戦の果ての玉砕を選択した。この時点で既に「特攻」だったのだ。

強硬な抵抗にはそれを上回る攻撃を受ける。どちらも必死の戦いである以上容赦はない。主義主張や価値観の異なる相手に膝を屈することを良しとしない考え方は「日本の武士」には珍しくない考え方ではあったが、戦国時代の武将でさえ、降伏して自決する代わりに家臣の命乞いをする敗軍の将のエピソードは少なくない。降伏もまた戦術として機能した時代はあったのだ。

国や軍首脳の思惑としての「自己犠牲」は、軍国主義的な洗脳とも言えるだろうが、「利己よりも他己」自分よりも他の利益を優先する考え方は、日本に限らず「善」であり「世界共通の美徳」といえるのではあるまいか。日本の暴走は正に「(日本的価値観)美徳の暴走」であり、「士道の潔さを履き違えた」という評価であるなら、私は完全に同意できる。

しかし、ここまで異常なほどの抵抗を示したがために得られたものがただ一つある。それはガメ・オベール氏も認めている事実だ。

憲法第九条の終わりに:ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日
ドイツの世界征服の可能性が消滅し、日本に至ってはなぜ降伏しないのか疑われるような悲惨な戦いに終始しだした1943年の11月にはアメリカ・イギリス・ソビエトロシア・中国の四ヶ国を「世界の4人の警察官」として平和を維持することを決定したカイロ宣言が生み出される。

世界には4つの独立した意志を持つ暴力があれば、それで平和は維持できるので、他の国に軍備はいらない、という「警察官たち」の意志が明瞭になったこのカイロでの会談がつくった枠組みをもとに、戦後の世界が構想されたので、日本の第9条もその構想のなかでうまれる。

日本国憲法第九条の、もうひとつの大きな意味は「日本が戦争を始めるための口実を完全に封じること」で、世界の近代史を通じて突出した戦争屋として有名な好戦的な民族日本人を四つの島を終身刑務所として永遠に封じ込めておくことは、特にアジア諸国にとっては切実な課題だった。

あとでヘンリー・キッシンジャーが周恩来との会談で、アメリカが日本に巨大な駐留軍を残している理由を、(大きな被害を受けた中国人が最もよく知っているはずだが)日本という戦争に特化された戦争を始めたい圧力を常に持っている社会を持った国には、その圧力を力で抑えつけるための「栓」が必要なのだ、と述べているが、1941年の12月7日以来、「たったあれだけの国力で、よくもまあ太平洋全体を戦域にする誇大妄想的な戦争をしかけてきたものだ」とアメリカを呆れさせ、アメリカとイギリスが、裏庭から空白化した東南アジアの利権をめあてに留守宅を狙って襲ってきたような日本とは異なって、ジャーマン・ナチという、こちらは正真正銘のブラックドラゴン、当時の戦争の戦争遂行力の目安だった鉄鋼生産量においても征服したフランスをはじめ大陸欧州諸国、それに表向きは中立だったがナチの隠微な協力者であったスウェーデンのような国を含めると、優に戦争を勝利に導けるだけの鉄鋼生産量と科学力をもっていた強敵と戦っているときに、常に背後から切りかけてくる、うるさい敵についての記憶はアメリカ人に二度とこの戦争大好き民族に戦争をさせる機会を与えてはならない、という決意をさせていた。

ガメ・オベール氏や欧米人の共通認識であるところの「再び日本を自由にさせてはならない」というのは、カミカゼや玉砕突撃を繰り返してアメリカ人に「異質な文化への恐れ」から来る純然たる理解を越えた存在に対する恐怖心である。それが不幸にも「原爆投下の言い訳」にも使われ、刑務所の看守としての米軍基地や刑務所の檻としての憲法9条が、日本を完全管理下に置くためのツールとして機能したことが、逆に戦後70年間の不戦を実現することになったのだ。

「私たちが(日本が)核保有国になり得ないと謳った日本の憲法を書いた」バイデン米副大統領、トランプ氏の核武装論批判:来栖宥子★午後のアダージォ
バイデン副大統領
<画像元:AFPBB News(dot.asahi)>
「私たちが日本の憲法書いた」=トランプ氏の核武装論を批判−米副大統領
 【ワシントン時事】バイデン米副大統領は15日、ペンシルベニア州スクラントンで米大統領選の民主党候補ヒラリー・クリントン前国務長官(68)の応援演説を行い、「私たちが(日本が)核保有国になり得ないとうたった日本の憲法を書いた」と発言した。
 大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏(70)が主張する日本や韓国の核武装容認論を批判したものだが、副大統領が日本国憲法を「私たちが書いた」とあからさまに言うのは異例。バイデン氏は、「(トランプ氏は)学校で習わなかったのか?彼に(大統領として)核兵器発射コードを知る資格はない」とも攻撃した。 
 一方、バイデン氏は6月、米公共テレビ(PBS)のインタビューで、中国の習近平国家主席に対して、北朝鮮の核開発阻止で協力を求める文脈で「日本は事実上、一夜で核兵器を製造する能力がある」と語ったことを明らかにしている。(2016/08/16-06:54)

 ◎上記事は[時事ドットコム]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖

逆説的だが、日本が物分かりよくドイツ降伏と同時に全ての権益を捨て、国体護持の大日本帝国存続の条件闘争でのみ戦後処理を考えたなら、ここまで徹底した武装解除の体制は採らなかったはずだし、講和条約締結後には国軍の復活すら許したかもしれない。

上記の引用文の冒頭はイタリア憲法の11条が語られ、それが日本の憲法9条とほぼ同じとして紹介されている。そして
そんなアメリカの思惑を逆手に取って上手く運用した憲法9条をガメ・オベール氏は高く評価しているのだが、その幸福な時代がそろそろ終わりに近づいたことも示唆している。

かつて日本人の欺瞞、大日本帝国の嘘の象徴でもあった靖国神社は、日本人特有の本音と建前を通り越し、狂気の時代を受け入れて今の我々のために犠牲となってくれた若者たちに感謝し敬意を払う場所となっていることをガメ・オベール氏は全く認識できないでいるのだろうか?

崇拝ではなく、(その時代を知らない我々は)ただ彼等戦没者に対する弔う気持ちを注ぐ場所が靖国神社でもあるのだ。

嘘と欺瞞の場所であればこそ、沈痛なる思いで先達たちに尊崇の念を捧げる場所でもあるのだ。これが靖国の陰と陽、光と影の真実ではなかろうか?

元々はスペイン・ポルトガルやイギリスに始まる大航海時代からの植民地時代。西欧列強がアジアに残した傷を考えれば、彼等とて正義の味方の顔で何事を語れるというのだ?

東洋人の不可思議な戦い方はベトナムという悪夢によって実証された。正にベトコンがアメリカに挑んだゲリラ戦という本土決戦は、アメリカ人の「わけのわからない相手」との格闘戦を一層忌避することに繋がった。


マルコムX盲目的な愛国心のせいで、現実を直視できないようになってはいけない。どんな人物がやろうとも、どんな人物が語ろうとも、間違ったものは間違っている。

You’re not to be so blind with patriotism that you can’t face reality. Wrong is wrong, no matter who does it or says it.


マルコムX(米国の黒人公民権運動家 / 1925〜1965):名言+Quotes

ガメ・オベール氏はいみじくも欧米人の平均的な考え方として日本人(東洋人)を信用していないことを公言してはばからない。連合国の日本に対する処遇は「交戦権の剥奪」と言う形で「野生の狼ではないよく訓練した警察犬」としての日本と自衛隊をかろうじて容認してきた。

しかし、その日本人に対する「不信感」が事実であるなら、いかなるコストを払っても二度と再び「日本を自由に戦わせてはならない」はずだ。今のように中国が純軍事的に脅威とならなければ、おそらく日本は未だ平和の惰眠の中にいただろう。制御可能な警察犬として「中国にのみ牙を剥く」そういう漁夫の利を求めるかのような西欧人の相変わらず身勝手な心変わりこそ憂うべきであろうし、批判されるべきではないのか?

ただ、批判が批判で終わってしまっては日本の万年野党宜しく「無用の長物」でしかない。それでも日本は「自らの進むべき道」を模索しなければならない。西欧の思惑の中にいると見せかけて、できるだけ独立独歩に近づける道を。

マルコムxという黒人運動家がこれからの日本人に最適な警鐘を打ち鳴らしてくれている。と私は思うのだ。

「中国に甘い顔は出来ないが、欧米の望むような踊りを踊るつもりもない」現実的に最適なチョイスを少なくともこれまで日本人はかなりの確率で最適の選択をしてきた。日本的情緒に影響されて判断・選択を誤ったのはあの軍国主義が芽吹き出した20年間位の時期だったことを思えば、ここからの20年が次の100年に影響するはずである。

「今最も愛国」は本当に護憲なのだろうか?それは「盲目的」ではないのだろうか?また、軍事的にも独立を指向することは別の意味での「盲目的な愛国」なのだろうか?

ガメ・オベール氏の視点は欧米人の考え方(サンプル)として非常に興味深かった。ただ、だからと言ってそれが正解とは限らないのだ。



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巡る因果の物語【めぐるいんがのものがたり】

集団的自衛権が色々と取り沙汰されているここ数年だが、日米安保条約とはある意味で不平等条約である。日本が攻撃された時、アメリカは日本を防衛する義務があるとされているが、アメリカが攻撃された時日本は防衛する義務がない。これは安保法制下でも同じである。日本が防衛戦に参加するには、正当防衛といえる個別的自衛権の行使か、集団低自衛権を行使する前提となる「アメリカ軍への攻撃が日本への攻撃と同等か日本の存立を脅かす(存立危機事態)と判断される時」である。

これは日本近海での統一行動時での話であったり、ペルシャ湾やインド洋・南シナ海の公海上で日米両軍の艦船が航行中に攻撃が加えられた時位のものである。ペルシャ湾から日本へ至る海路は日本のエネルギー輸入の大部分を占める最重要航路であり、この海域の安全航行が阻害される事態は「存立危機事態」と呼べるからだ。

日本のためにアメリカの若者は血を流すが、アメリカのために日本の若者は血を流さない。アメリカが日本の安全保障での貢献を拡大させる意図の本質はこの不平等を是正する目的がある。もちろんアメリカが軍事予算を軽減する政策を行う上で、実効的な制海権確保と共に「相互安全保障」体制に近づけようとするのは自然な流れであるわけだ。

逆に考えれば理解できるだろうか?

日本の自衛隊がアメリカに基地を持ち、カリブ海に艦船を派遣してアメリカ近海の安全保障体制をとっているとする。アメリカが中南米やロシア・中国あるいはイスラム過激派の意図を汲む勢力に攻撃された場合、アメリカは平和憲法を盾に自分から防衛戦はしても攻撃はしない。敵の攻撃を止めさせるために敵国を攻撃する義務に晒され、アメリカ人のために血を流すことが求められる自衛隊・・・。

世界中誰に聞いても「自分の国ぐらいまず自分で護ろうと思わないのか?」「まして自分の国を守るために戦う同盟国軍を積極的に守り協力しようと思わないのは身勝手過ぎる」と言うだろう。

アメリカの戦争に付き合わされると言うのなら、日本近海で起こる可能性のある戦争に関して言えば、
戦争に付き合わされるのはアメリカの方なのだ。

実はあの東日本大震災の直前、ある情報がアメリカを動かし2隻の空母が日本近海へ展開した。

↓自民党「青年局」Cafesta『決戦は金曜日』宇都隆史議員×佐藤正久議員(2013.6.14)

※東日本大震災当時の自衛隊の体制と米軍の協力について(指定時間再生なので全編を見たい人はyoutube元サイトでどうぞ)

震災後、日本を防衛した空母2隻体制:The-LibertyWeb
震災後に日本に駆けつけた空母ロナルド・レーガンと、横須賀を母港とするジョージ・ワシントンの2隻体制が中国やロシアなどに対する強力な抑止力となっていたことが明らかになってきた。菅直人首相が自衛隊10万人を被災地に送り込んだためにできた防衛体制の空白を埋め、国防上の危機を未然に防いだ格好だ。

国際エコノミストの長谷川慶太郎氏は、共著『東日本大震災 大局を読む!』で「日本に来た本当の狙いは第7艦隊の増強であって、ロナルド・レーガンは震災の処理が終わっても帰らずに日本に常駐することになっている」と述べている。
2隻体制になり、第七艦隊の戦力が倍増するのだが、これは中国などへの備えだという。

ジョージ・ワシントンは震災後の3月21日に横須賀を出港し、1カ月後に帰港するまで、佐世保港に2回寄港。この間、東シナ海や日本海を航行し、中国や北朝鮮、ロシアの動きに警戒に当たっていたとみられる。
ロナルド・レーガンは3月9日に米サンディエゴ港を出港、米韓軍事演習参加のため韓国を目指したが、震災翌々日に仙台沖に到着し、4月4日まで救援活動を続け、同月19日に佐世保港に寄港。その後、東南アジア方面へ移動した。


空母ロナルド・レーガン
<画像元:ロナルド・レーガン 空母(wiki)>

この背景と言われるのが、中国の当時の主席だった胡錦濤とアメリカのゲーツ国務長官との会談だ。

中国の崩壊に着々と備えるアメリカ:午後のカフェ・オレ
中国の自壊と内乱を想定し、準備を整えているアメリカが中国の「変調」を察知したのは、2011年1月。

ゲーツ国防長官は、北京で胡錦濤と会った。
その日は 中国空軍の開発したステルス戦闘機(殲20)のテストフライトを実況中継した。

ところが 中央軍事委員会主席の胡錦濤は そのことを知らなかった。

つまり中国空軍が胡錦濤主席の了承も指示も待たず、勝手にステルス機のテストフライトの実況中継をやらせた。

ワシントンに帰ったゲーツは「中国共産党の指揮下にある人民解放軍が 共産党トップのコントロールから外れている」
「文民統制が崩壊している」とオバマ大統領に報告し、オバマは第7艦隊(西太平洋とインド洋担当)の増強を図った。
休止していた空母ロナルドレーガンが3月9日 サンディエゴを出航する。
そして太平洋航行中に 東日本大震災が起き、震災から3日後三陸沖に着いた。
アメリカの「友達作戦」で中心的役割を担う。
(参考、2015年〜 世界の真実 長谷川慶太郎:著

この時の空母ロナルド・レーガン艦長は、トム・W・バーク大佐。彼と日本には因縁がある。バーク大佐の祖父は第二次世界大戦時の海軍大佐アーレイ・バーク。日本を目の敵にして憎しみを抱いていた嫌日家だった。駆逐艦乗りとして名を馳せ「アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦」に自身の名前を残す。彼が後に日本の海上自衛隊の実質的な生みの親とも言える「恩人」であることは関係者以外ではあまり知られていないが、嫌日家だったアーレイ・バークが一転親日家に転向したエピソードはなかなか興味深い。

アーレイ・バークトム・バーク
(左)アーレイ・バーク (右)トム・バーク
<画像元:小名木善行 ねずさんの ひとりごと>

単語記事: アーレイ・バーク:ニコニコ大百科
太平洋戦争開戦時、ワシントンで内局勤務のまま中佐だった彼の再三の要望が通り、戦争中盤に南太平洋海域に配属され、駆逐隊、水雷戦隊司令を歴任。ソロモン海を中心に日本海軍と戦いを繰り広げることになる。この功績などもあり大佐に昇進。1943年10月には第23駆逐隊群<リトル・ビーバーズ>司令として着任する。
ブーゲンビル島沖海戦に参加。そしてセント・ジョージ沖海戦ではレーダーを生かした戦いで日本海軍のお家芸でもある夜戦において勝利を得る。
この戦いでバーク率いる水雷戦隊は、バーク立案の戦術のもと日本海軍駆逐艦3隻(<巻波>、<大波>、<夕霧>)を撃沈せしめた。ちなみに<大波>艦長は、吉川潔中佐(この戦いで戦死)。前<夕立>艦長として第三次ソロモン海戦で勇名をはせた名駆逐艦長であった。
(中略)

(※管理人注:戦後はアメリカ海軍内部の政争で窮地に追いやられるが)朝鮮戦争勃発と前後して日本に極東艦隊参謀長として1950年に赴任することとなる。

(中略)
日本に纏わるエピソード
当初は日本に赴任後、朝鮮半島へ出張などを繰り返したためホテル暮らしだったという。
前述したように日本人に対して悪い印象しかなかったため日本人とは距離を置こうとしたが、ホテルでうけた親身な対応の数々に感銘を受けて、考え方を変える一因になったという。
…朝早くに出て深夜にホテルに寝に戻る生活を繰り返す中、ベットと椅子と鏡台だけという殺風景な部屋の様子をいくらかでも華やかにしようと慰みとして花を一輪買い求めコップの中に差していたところ、翌日花瓶が用意されて差し替えられていた。さらには花が時折変わるのにも彼が気がついた。
ひそかなもてなしに関心したバーク提督がフロントに尋ねたところ、そんな指示は出しておらずルームメイクを担当していた女性のポケットマネーによるものだったという。ごくわずかな給金の中から花を購入していたというその女性は戦争で…しかも戦争中バークが活躍したソロモン海の戦いで夫を亡くした未亡人だという。彼は金銭面でのお礼を申し出たが彼女は丁寧な口調で断ったという。あわせて夫を失ったのは自分のせいかもしれないというバーク提督の謝罪の言葉に彼女は毅然と、提督は軍人としての勤めを果たしただけであり、悪いとすればそれは戦争ですと答えたという。
(彼はいささかの金額を、彼女の退職手当用に匿名でホテル側に寄付することにしたという)
…朝鮮半島の出張から戻り、アメリカ人の出迎えもないまま汚れた惨めな格好で夜中にホテルに帰ってくると、案内される部屋が変わっていた。さほど気にもとめていなかったが、前の部屋があった階で働く従業員が現れ、貴方が家に帰られないので残念がっていると告げた。そうであるならばと、バーク提督とその従業員の二人はフロントに赴き交渉。以前使っていた部屋へ戻ることになる。以前の部屋に戻るとその階を担当している従業員達全員が現れ暖かく出迎えるとともに暖かいお茶を用意してもてなしてくれた。その心遣いにバークは思わず涙が出そうになったと後に語っている。
このように単なる客にしか過ぎない彼(しかも元敵国軍人だというのに)に対してホテルの職員たちは親身に接していたという。
以上のような話が続き、彼は自分の日本人嫌いが正当なものであるのか考えるようになったという。
(中略)
バーク提督が残した日本の海軍再建および海上自衛隊についての発言・文章は以下のとおり。

『(日本の海軍再建について合衆国の利益であると述べた上で)日本が自らの防衛力を有することは、自由社会と合衆国の利益にかなう。なぜなら合衆国が日本を守れないときが必ずくるからである。私は合衆国と日本が友好国であり同盟国であるべきだと信じた。(中略) 世界のために貢献するには、他国に影響を及ぼし得るよう、経済、軍事、政治の各分野において強力でなくてはならない。三つすべてが必要である。どんな国も他国に完全に頼りきるべきではない。もしそうなれば強国の属国になるしかなく、何ら進歩に貢献できないであろう

1950年以降のものと思われるこの言葉には今あらためて重みを感じる。アーレイ・バークの理想は残念ながら未だに達成されていない。「もしそうなれば強国の属国になるしか無く」とは現在の日本の姿でもある。因果な話を付け加えると、3.11東日本大震災の「トモダチ作戦」は有料だったらしい(爆)美談ですまないのはさすが抜目のないアメリカである。しかし、彼らの作戦行動が多くの日本人を救ったこともまた事実。金で済むのならこれも現状では仕方ないのかもしれないが(^^;)

中国の体制崩壊を警戒して空母を持って行ったら日本で災害が起き、自衛隊がそっちにかかりっきりになってる間、対外警備を助っ人し、ついでに救助活動も支援・・・って、まるで中国牽制の遠征費用を稼ぐバイトをしたようなものではないか(爆)

トモダチ作戦の見返りはおもいやり予算1880億円×5年:NEWSポストセブン 2011.04.19
 米国が2万人の“トモダチ”が駆けつけた「トモダチ作戦」は日米メディアで大絶賛された。だが、そもそも8000万ドル(約67億円)が計上された「トモダチ作戦」は無償の友情ではない。

 年度末の3月31日には民主、自民などの賛成多数で「思いやり予算の特別協定」が可決された。有効期限は従来の3年から5年に延長され、今後5年間、日本は米軍に現行水準(約1880億円)を支払い続けることを決めた。


最近の話題に絡めると、安保法制は立憲主義にも反しているが、憲法自体が世界標準の平和観から逸脱した国連憲章違反の疑いもある。
ねじれにねじれまくった日本の安全保障がブチ切れるのか、それともゆるやかに解かれ本来あるべき姿に向かい、アーレイ・バークが熱望したように真の独立国として対等の同盟関係を持てるのか。

日本国憲法を起案したマッカーサーや民政局のホイットニーは、第一次世界大戦後のパリ不戦条約を知らないはずがない、幣原喜重郎白鳥敏夫または憲法研究会がマッカーサーにヒントを与えた可能性は確かにあるが、草案としてGHQが日本政府に突きつけたのはマッカーサー・ノートを基本にしたGHQ草案である。

幣原喜重郎幣原喜重郎〜戦後:wiki
GHQのマッカーサーと1946年1月24日に会談。この日のマッカーサーとの会談で平和主義を提案する。天皇制の護持と戦争放棄の考えを幣原の側からマッカーサーに述べたとされる。その前の12月、幣原は風邪で倒れ、病床で「つくづく考えた」のであった。幣原の憲法草案が保守的でGHQから拒否されたというのは、誤解であり、GHQから拒否されたのは、幣原・マッカーサー会談の後に出来た国務大臣松本蒸治を長とする憲法問題調査会(松本委員会)がまとめた「松本案」である。順番からいえば、憲法制定過程は、幣原・マッカーサー会談(これで大筋合意。しかも、幣原から平和主義を提案。幣原は自分で「病床でつくづく考えた」のであり、マッカーサーからの圧力はなかったと思われる)→松本案が完成(松本案自体は45年10月から作り始めていた)→松本案がマッカーサーによって拒否される(46年2月1日頃。『毎日新聞』のスクープでGHQは内容を知る)→マッカーサー3原則(46年2月3日)→GHQの民生局が草案を作成(8日間で草案を作成)→マッカーサー草案ができて(2月13日、松本国務相と吉田外相は「松本案」の返事を聞きに行ったが、逆にマッカーサーから草案を渡される)閣議が大荒れ(2月19日)→幣原はマッカーサー案を原案として採用し修正することを決める(同日)→幣原・マッカーサー会談2回目(21日)→修正を求めることを幣原が閣議でいう(22日)→閣議も了解(2月22日)→昭和天皇も幣原総理を激励という順である。


河上暁弘 日本国憲法第9条成立の思想的淵源の研究 - 専修大学 :PDF
1951年5月5日のアメリカ上院軍事・外交合同委員会聴聞会での証言である。ここで注目すべきは,戦争についてのマッカーサーの答え,そこでの用語の共通性,すなわち,マッカーサーは(例えば,不戦条約や日本国憲法第9条の言葉である「戦争の放棄(renounce of war)」などではなく),「戦争非合法化」運動の言葉(キーワード)であるところの「戦争の廃絶(abolition of war)」や「戦争の非合法化(outlawryof war)」を使っている点である。例えば,幣原が提起してきた戦争放棄の理念が盛り込まれた日本国憲法について,「日本では,何人もの仲間の死を数え,何人もの仲間の埋葬を行ってきたのです。そして彼らは,自らの決断によって,自らの憲法に戦争非合法化(outlawing war)の規定を書き込んだのです」(英語原文省略)と述べている。その他にも,マッカーサーは,こうした言葉を使い続けていることも付言しておきたい。こうしたことは,あるいは,マッカーサーが「戦争非合法化」論を知っていた状況証拠と言い得るかもしれない。


日本国憲法「第九条」の草案者は誰か? - ワシーリー・モロジャコフ:BLOGOS
白鳥敏夫1945年12月10日公判を待つために東京の巣鴨拘置所に拘留中の、前駐伊大使で同時に「A級戦犯」であった白鳥敏夫は、吉田茂外相(当時)あての長文の手紙を書き終えた。手紙は英語で書かれていた。拘置所の検閲を難なくすり抜けられるようにするためか、それとも手紙が占領軍本部の目に留まるようにするためなのか。占領軍に読ませるためだったとの可能性が濃厚であったとみられる。 <画像元:白鳥敏夫(wiki)>
(中略)
吉田は、戦前、白鳥からの依頼を受け、長年にわたり外相を務めていた幣原喜重郎を白鳥に紹介したことがある。1946年1月20日以前に、手紙は、連合国軍最高司令官であるマッカーサーの総司令部に届けられていたが、一体、誰が手紙を受け渡し(吉田本人である可能性も考えられる)、誰が実際に手紙を読んだのかは不明である。
(中略)
白鳥が手紙の中で憲法改正および「戦争放棄」を盛り込むことについて記している部分の和訳が、1956年、東京裁判で白鳥の弁護人を務めた廣田洋二によって公表された。著者は、入手可能なありとあらゆる資料を精査し、マッカーサーが、第九条の着想を幣原から受けたであろうこと(この時のことについて触れているマッカーサーの回顧録が出版されたのは、手紙が公開されてから8年後のことだった。)、そして、その幣原に影響を及ぼしたのが白鳥である可能性は充分すぎるほどあるという結論に達した。



「戦争放棄という平和主義」は思想的にはいくらでも過去に遡れそうだが、日本のそれも憲法の条文として具体化したのはGHQであろう。独立権まで否定するかのような交戦権と戦力保持の否定は、その後ご都合主義的に「憲法解釈の変更」と言う裏ワザですり抜けたものの、日本の独立回復後に改憲を試みなかった点では、アメリカの洗脳教育が「あまりに純真な(マッカーサー曰く)12歳の子供の日本」には効きすぎた薬となって今も副作用を生んでいる。

因果はぐるぐる回っていつまでも未来にまとわりついている。「いい話」もついてまわるのだが、「悪い話」がどうにも後から後から見えてくるのは正直うんざりするのだ(^^;)

もういい加減悪い因果を断ち切りたいと思っているのが日本人の共通認識ではあるはずだと思うのだが・・・。
このまま「奴隷の平和」を「9条がもたらした平和」と誤解したまま日本がねじれていくのなら別のトンデモナイ因果を生み出してしまいそうな気もするのだ(笑えないなこりゃ(^^;))

JUGEMテーマ:歴史
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目眩まし【めくらまし】

安保法制は参議院へ。新国立競技場は白紙見直しへ。

安保法制で国民の反感を買ったと見るや国立球技場では素早く「民意?」に反応し、安倍政権の少々あざとい戦略が相変わらず「反安倍陣営」を刺激し続けるわけだが、前エントリで書いた私の率直な印象を再掲すると

日米安保は否定せず、日本に駐留する米軍そのものも否定せず、自衛隊も否定しないのに、憲法形骸化の現実を認めず、自国の安全保障上の一側面である自衛権に関して狭量な価値観を押し付けるのが国を代表する正常な人間(国会議員)の態度と言えるのか?

ということに尽きるわけだが、言論界でもようやく?反対派の現状認識への疑問(賛成派の反撃含む)が続々と湧き出してきた。

【ニッポンの新常識】「憲法9条が日本を守っている」という無知と現実逃避が招く危機 K・ギルバート氏:ZAKZAK
 日本のマスコミは「強行採決」という言葉を好んで使う。ちなみに米国には日本語の強行採決に該当する用語はない。一般的な米国人は「強行採決反対!」とたびたび大騒ぎする日本人が理解できないだろう。
 そもそも、民主主義とは賛否両論の議題について、過半数を取った側の意見に全員が従うルールである。どちらが過半数なのかを知るには、採決が必要不可欠となる。
 民主党政権時代に1〜6時間程度の審議で次々に採決された法案について「強行採決だ!」と叫ぶのなら分かるが、安全保障関連法案については110時間を超える審議後である。これを強行採決として批判するのは、情緒的すぎると思う。
(中略)
ニュースでは「戦争法案反対!」「強行採決恥を知れ!」などと叫んで、各地でデモを行う人々の様子を報じているが、マスコミの職務怠慢が生み出した被害者だ。
 彼らが他国の工作員ではない限り、「われわれは世の中の動きを理解していません」「煽られて大騒ぎしています」とアピールしているようにしか見えないからである。
 「憲法第9条が日本を守っている」という教義の宗教にダマされる人々には、もはや怒りすら感じる。第9条のせいで島根県・竹島は奪われ、北朝鮮による拉致被害者は奪還できず、東京都・小笠原の赤サンゴは壊滅状態、沖縄県・尖閣諸島周辺では漁ができない。

 国民の無知と現実逃避が、日本という国を危機にさらしている。

日本との軍事同盟国で民主主義の本家たる(^^;)アメリカ人の感覚としては至極当然だ。以前からも同様の主張をされている点でも左派からは「右派寄り」と見なされているのだろう。アメリカ人から見ればこういうレッテル貼りも「日本人の馬鹿馬鹿しいこだわり」にしか見えまい。現実的に最善の策を講じる為政者の立場を理解しない人間には、まともな理屈さえも見えないのかもしれない。
ただ、戦後70年も経過していながら日本国民にはケントが述べるこの最低限の理屈を理解しているものさえ少ないようだ(^^;)

解釈改憲は悪か? 安保法案「違憲論」への違和感 慶応大・山元教授に聞く:THE PAGE
山元教授――9条の解釈変更を前提とした安保法案は、立憲主義に反するもので、違憲だとする見解が多数を占めていますが、どのようにお考えですか?

 この問題を考えるためには、自衛隊そのものの合憲性を判断することが前提となります。歴史的に振り返れば、自衛隊は、 戦力の保持を禁止する憲法9条2項の明文と正面衝突していますから、本来自衛隊は違憲となるはずであり、このような解釈が本当につい最近まで、学説では多数説でした。しかし、自衛隊は今日では合憲性と法的安定性を獲得し、学界の内外で個別的自衛権も含めて多くの人がその存在を法的に認めています。これは、0を1にしたと言えるほどインパクトの大きい出来事といえます。それに比べると個別的自衛権から集団的自衛権ということになると、1から2へ進んだことになります。

――安保法案違憲説に対する違和感は、どのような点に感じますか?

 まず、内閣法制局の解釈自体に対する評価が、ダブルスタンダードなのではないかということです。

 もともと、9条を文字通り解釈すると、日本は軍事的には丸腰でいて、国際社会に安全を委ねるべきという考え方が主流でした。これに対して、当時の内閣法制局は9条の文言をほとんど無視するような形で、実質的に9条の意味内容を空洞化させる技巧性の高い解釈を行い、自衛隊の存在及び個別的自衛権について容認します。この内閣法制局の解釈に対し、野党や憲法学者などは、あるべき枠を逸脱した「にせ解釈」「解釈改憲」であるとして、罵倒に近い批判を浴びせてきました。

 自衛隊は設立当初から軍事組織であって、近年特段装備も変わったわけではありません。しかし、昨年の9月29日、政府の解釈に対して批判的な立場の学者で構成され、長谷部恭男教授や小林節教授も名を連ねる、国民安保法制懇の意見では、従来、自衛隊違憲説に立っていた他の有力な憲法学者も個別的自衛権肯定論に転換し、「内閣法制局の従来の解釈は国民熟議の賜物」とまで評価しています。そして、今はこの内閣法制局の従来の9条解釈を変更しないことが「立憲主義」だとまで言われています。議論の構造として、内閣法制局の解釈を都合良く用いているような印象があり、この点は問題ではないかと思います。

二枚舌なのは憲法学者も同じこと(爆)ということか。まぁ、それが時代の変化に対応した現実的判断ということなのだが、早い話、先の判断は認めて今回の判断は認めないというのは法制局のダブルスタンダードと変わらないご都合主義でしか無いということである。

――「集団的自衛権」を肯定的に評価することも可能なのでしょうか?

 現在の違憲論の論調は、個別的自衛権なら健全な防衛であり、集団的自衛権は悪魔的であるという“誇張的・グロテスク”な描き方になっていると思います。従来の内閣法制局の憲法解釈が、憲法上発動することが許される個別的自衛権と、許されない集団的自衛権という形で完全に峻別してきたことの影響を見て取れます。
(中略)
 しかし、集団的自衛権が全く認められない世界というのは逆に恐ろしい面もあります。現在の国際立憲主義体制では、軍事的措置を取るかの判定権を、国連の安全保障理事会に独占させています。常任理事国である5つの大国は拒否権を持っていますから、いずれかがこれを行使してしまうと、加盟国は軍事的対応を取ることができません。そうすると、侵略された国は切り捨てられることになってしまい、自分以外に守る国は一切いなくなるということになります。


さらに同じ記事から引用すると

――今回の安保法案は一部では「戦争法案」とネーミングされていて、日本が戦争に巻き込まれるというイメージが強いように思います。

 もちろん、この法案が可決されれば、自衛隊員そして国民のリスクは高まります。ただ、国連憲章でも、一定の軍事的措置については合法としているだけでなく、各加盟国に対して、協力することも、抽象的にではありますが明確に期待しています。国際的な公益を問題にしているかという観点で考えることを放棄して、9条があるから考えなくていいということにはなりません。

 日本国憲法と国連憲章は、決して分断されるものではなく、連続的にとらえるべきであり、それは9条の解釈をめぐる問題についても同様です。
(中略)
 これは、いかなる平和思想を選び取るかという問題です。およそ武力行使を行うことを認めるものであるから、原理的に平和主義に反すると考えることは妥当ではありません。

9条が「特別な特徴を持った憲法」などという幻想を抱いているのは、もはやただの無知であることは周知だと思うが、であるならば「平和国家」という概念が「非武装で軍事的に丸腰であるべき」という幻想を根拠にしていないことは明らかである。日本のように単純明快な(幼児的・稚拙な)平和主義を掲げられるのも世界最強の軍事国家アメリカの武力に依存しているからであり、その軍事基地までもが日本国内に存在している事実を抜きには語れないはずだからである。

 しかし、今回のような解釈を行い、法案の成立を目指す安倍内閣は、「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げています。この言葉は、日本国憲法の意義を否定し、過去の戦争が侵略戦争であったことを否定的にとらえるという意味で使っています。しかし、本来的な「戦後レジーム」は、国連体制によって形作られた国内外の秩序のことをいうはずです。敗戦国扱いされ、アメリカから憲法を押し付けられ、真正面から軍事力を持てなくなったことに不満があるから、これを変えたいという動機だけが透けて見えますが、これは隣国との緊張感を高めるだけで、本来的にあるべき姿から外れています。このような状況では、国連体制によって作られている「戦後レジーム」から導かれる概念である「積極的・能動的平和主義」や「集団的自衛権の行使」を提案するため、憲法解釈を変更していく主体として、安倍政権は全く適任ではないと考えます。

集団的自衛権には理解をしながらも解釈改憲を試みる安倍政権の動機に疑念を持つ点は面白い(^^;)ただ、「戦後レジームの脱却」の中に国際的パワーバランスにおける「敗戦国待遇からの脱却」を内包するのはある意味当然であるし、それこそが「憲法改正の主勢力」である以上、安倍政権に対するこの解釈もまたダブルスタンダードではないかという疑問を持つのは私だけだろうか?憲法改正に関して安倍政権(自民党)の考え方に対し国民主体から外れてる事を危惧するのは私と同じだし、安保法制を巡る政治的手法は「到底褒められたものじゃない」とうのは同感ではあるが(^^;)

素晴らしきかな“国会”:軍事評論家=佐藤守のブログ日記
採決
≪野党議員が抗議する中、自民、公明両党の賛成で安全保障関連法案を可決した衆院平和安全法制特別委:まるで国会議事堂前か青山通りみたいだ!=15日午後0時24分・産経≫
今回の集団的自衛権を行使して、わが国の安全を確保しようとする政府の考えに対して、各党それぞれ賛否があるのは当然だとしても、長々と国民が見せられてきたところによると、国家の安全というよりは、自分らの政党の主張を通そうとして、すべての政府案に反対を唱えて幼児のようにゴネまわる野党の狂態は、議会民主主義という理念からはかけ離れているといわねばなるまい。
いずれにせよ、採決に入ると、数が少ない方が負けるのは理路当然だから、こんなデモ隊のような見苦しいプラカードなどを掲げて、議長よりもテレビに訴える手段をとることになる。

しかし、これらの写真は国会史に残ることになるから、顔が判別できる議員さんたちは後世の笑いものになるだろう。

私も最初は目を疑った。国会議員が何が悲しくて会議場でデモしなきゃならんのだ(爆)リンク先ページのコメントにもあるが、「法案に賛成のものは「起立」を求めます。プラカードもどきを持っていた議員さんみんな立っていましたね(笑)。」

なんとほぼ満場一致だったというオチ(爆)

愚にもつかない違憲論ばかりで相手を納得させようとするのは絶対的に無理なのは子供にでもわかる理屈である。少なくとも、本来建設的な意見を持って国家に益をもたらそうとするのが役職である国会議員ならば、安全保障上の問題点を共有した上で与党案に対しての対案や修正案を提示して採決に至るのが理想的である。
しかし現実離れした理想だけを頼りに、およそ無駄な時間と弁舌で本筋を外した議論に終始して「与党のイメージ悪化」のみを狙うのは国民に対しての背任行為にも思えるのだ。

ただ、プラカードを出すのは民主党だけの得意技ではない。かつては野党時代の自民党も・・・

与党、郵政改革法案を強行可決 終盤国会の対立激化(2010/05/28 18:28):47news
 自民党の大島理森幹事長は28日の記者会見で「ルールを無視して採決を強行するのは、国会の存在を否定する行為だ」と批判した。
強行採決反対

お前らもやっとんたんかい!(^^;)

(こども版)強行採決って何?−−池田 信夫:アゴラ
国会はきょう安保法案の採決が特別委員会で行なわれる予定で、一つの区切りをむかえます。これに対して野党3党は委員会を欠席する方針で、「強行採決には応じない」と反発していますが、強行採決って何でしょうか?

よい子のみなさんが学級会で昼休みにドッジボールをするかサッカーをするか話し合ったら、サッカーのほうが多かったとしましょう。このときドッジボールをやりたい子が「ぼくらが納得しないのに採決するのは強行採決だ」といって教室を出ていっても、結果は同じことです。

もちろん多数決だけが民主主義ではありません。徹底的に話し合って、少数派の考えにもいいところがあれば取り入れればいいのですが、全員が納得するまで話し合っていると何も決まりません。そういうときは時間を区切って採決するのが民主主義のルールです。少数派が欠席したら採決しないと「少数決」になってしまいます。

だから普通のマスコミは強行採決とは書かないで、単独採決と書きます。野党が欠席しても定足数があれば採決できるので、何も「強行」する必要はないからです。議員が委員長席でつかみかかったりしているのは、民主主義のない発展途上国によくある風景で、情けないですね。

野党が安保法案を否決したければ、選挙で勝てばいいのです。今回の法案については、去年の閣議決定のあと、安倍首相が解散・総選挙をし、自民・公明の与党が2/3以上になりました。つまり圧倒的多数の国民が、与党の方針に賛成したわけです。

参議院でも与党が過半数なので可決されますが、可決されなくても60日たてば衆議院で2/3以上あれば再可決できるので、法案は成立します。だから国会のまわりでデモしても、憲法学者が反対しても、採決には関係ありません。

野党のみなさんも、いつまでも「何でも反対」の子どもみたいなことをいってないで、ちゃんと採決に参加してほしいものです。負けてくやしかったら、選挙で政権をとればいいのです。

原発推進派で経済トンデモ論者のノビーだが、それ以外では比較的まともな見識の持ち主でもある(^^;)敢えて「こども版」としてアゴラに投稿しているのは、野党及び反対派の論陣の幼稚さに対する皮肉だろう。こういうセンス嫌いではない(爆)

国会の周りのデモと言えば主催者発表で25000人という話だが、こういう場合の数字ははっきり言って信用に値しない(^^;)誰も細かく検証しないししても意味が無いからである。だって所詮全国各地で数十万人の反対でもあろうとも、国の進む道を決めるのは国会議員でありその多数派だから実質的な効果の程は無きが如しなのだ(^^;)

なんてったって60年安保闘争のまっただ中、学生を中心に燃え広がった日米安保反対の矢面に立っていたのが安倍総理の祖父「岸信介」ということだけを見ても、血統的に反対運動に対する耐性は強いのだ(爆)

安保法制反対派デモしか報じない各テレビ局の異常さ。賛成派デモはまたも「報道しない自由」で無視。:さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」
平和安全保障委員会に満足に出席しない野党が「国民の理解が進んでいない」と言う前に、自分達が全く理解していないのではないか。こんな調子では2年やっても3年やっても同じですから早く採決して決めてしまうべきです。

それ以前に「国民に理解が進む」というのが無理です。多くの国民には「国防」に対する素養がないのでマスコミが偏っている以上は正しく理解されることはないでしょう。

国家の安全保障や国防というのは国民の代表たる国会議員が責任を持って決めるべきことです。大衆におもねって道を誤るというのは歴史の教訓です。

今回、採決が迫って来てから、やたらと反日左翼団体が反対抗議をやっているように思いますが、これはマスコミがこればかりを報じている印象操作です。

一方で安保法制賛成デモもやっていますが、こちらは一切報じられません。
いつものこととはいえ、この偏った異常な報道を国民はよく知っておくべきです。

素養がないというよりも新世代の若者に対する教育と一般人に成長していく日本人に決定的に欠落しているのが、明治維新以降の近代史の教育であり、大東亜戦争に至る背景状況とその時代の国民が持っていた意識・思想の説明が、教育の一環として全く無いことが自虐史観という洗脳の最大原因である。戦犯の追放解除・名誉回復あるいは講和条約による独立達成後に、日本の近代史の感情的でない客観的な歴史検証と総括が行われるべきであった。

それを阻害したのが左翼の「反軍国主義=反大日本帝国」に凝り固まったマスコミと日教組などの教職員による明治以降の日本史の健全な部分を含む全否定である。アメリカ(連合国軍最高司令官総司令部=GHQ)によるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの影響もあろうが、自国の負の歴史に過剰に反応し尻尾を振ってそれを有難がったのも当時のマスコミである。

マスコミの情報操作は毎度のことで、私ほど世間を斜めに見る習性が染み付いてしまうと(^^;)報道の裏読みを同時に行っている。
サイレント・マジョリティ(沈黙する=発言しない多数派)に対するノイジー・マイノリティ(騒がしい=発言する少数派)がこれらの反対運動になって現れるわけで、事さらに騒ぐことを報道することでの世論誘導を図る意図がある。そこには両論併記の公平性は存在しない。そもそも既存のマスメディアには、真の意味の公平性や中立性などまず備わっていない(爆)

国民の幸福及び国益を追求するのは政府だけの役割ではないはずだ。しかし、その建前を理由に行っていることは、政府を批判するばかりで、それこそがジャーナリズムだと誤解している。もちろん権力の監視役としての役割はあるのだが、ジャーナリズム自身の相互監視はできていない。お互い身内には甘いのだ。
身内に甘い点は朝日を代表する売国反日左翼メディアのみならず、保守系の読売や産経ですら例外ではない。そんなメディアの伝えることをまともに信じるほうがどうかしていると思うのだが、それでも私は変わり者だろうか?(^^;)

以下は私が購読しているメルマガで掲載されていた安保法制賛成派デモの紹介である。

*中国に9条はない!:鍛冶俊樹の軍事ジャーナル 第196号(7月17日)〜無料メルマガ
 「安保法制賛成のデモに参加する」と言ったら友人に真顔で止められた。「よせ、よせ。反対派に袋叩きにされるぞ」どうやら「反対派3万人、国会を包囲」という報道を信じているらしいので「あれは主催者発表で実数は5分の1以下さ」というと
 「5分の1だって6000人だろ、数百人の賛成派なんて木端微塵(こっぱみじん)だぞ」との忠告を有り難く承って、12日、デモに参加した。日曜日ということもあって反対派の数はそれほど多くはなく乱闘騒ぎもなかったがむしろ、印象的だったのは反対派のキョトンした表情だった。

 彼らはそもそも賛成派がこの世に存在することを知らないらしい。だから賛成派の主張そのものを聞いたこともないのだろう。興味深いそうな表情でこちらを見ていた反対派の人に話し掛けられた。
 「中国が本当に戦争の準備をしているのですか?」「していますよ。習近平主席は主席に就任するや人民解放軍に『戦争の準備をせよ』と通達を出していますよ」「中国は何故そんな事をするのでしょう?」「だって中国に憲法9条は存在しません。彼らは戦争を放棄していないし、否定もしていないのですよ」
 すると彼ははっとした表情をした。
「反対派の方ですか?」と尋ねると「ええ、まあそうなんですが、今まで賛成派の人達の話を聞いたことがなかったもので」とばつが悪そうな様子だった。「中国大使館に9条を受け入れる様にデモをした方がいいんじゃありませんか」というと無言で立ち去った。
 
 テレビ(地上波)が賛成派の主張をほとんど報道してこなかった事に大きな問題があるのは事実だが、そもそも賛成派がデモをしなければテレビは報道のしようもない。ネットには賛成派の主張も出ているが、ネットはそもそもその人が求める情報を提供するシステムだから賛成派の存在そのものが知られていなければその主張に触れることはないのである。
 その意味で今回のデモは有効であっただろう。
 12日のデモの様子は下記をクリック。小生の演説は後半だが、前半は美女たちがいい話をしているから、是非視聴されたい。



チャンネル桜なのでバリバリ右派であることは間違いないが、「戦争法案反対」「安保法制反対」のプラカードばかりが目立つ反対派に比して、おびただしい「日の丸」にちょっと引いてしまう私がいた(爆)

改憲派であっても(自主独立防衛路線の前段階としての)日米安全保障体制の強化である安保法制賛成派の私であっても、これほど鮮烈に動画内の「好戦的な弁論」(^^;)は、そこまで言い切れるほど政府主導の「改憲」は信用していない私としては、もし誘われたら参加をためらうだろう(爆)

概ね主張の内容に異議はないが、これを見る限り国会議員よりはるかに真面目に安全保障に対しての意識が高いという気がしてくる(^^;)この言葉をそのまま外交の場に持ち込むことは出来ないだろうが、こういう声が日本国内に上がっていることをマスコミがきちんと世界に伝えないほうが余程恐ろしい。

一部の世論をさも多数派のように見せかける偽装を既存メディアが行っている点は、常に心に留めておいたほうがいいだろう。正しい判断を惑わす目眩ましに幻惑されているのと同じだ。

一般的には保守派に見られることが多く、自主独立派と言うか民族主義的な小林よしのりなどは、対米従属批判者でもあるので安保法制の採決に関しては左巻き同様批判的ではある(^^;)

「オオカミが来たぞ」は奥の深い寓話である:よしりんの『あのな、教えたろか。』

よしりんブログ安保法制の強行採決を朝日社説が
「民主主義、立憲主義が壊されてしまう」と書いたら、産経新聞の産経抄が「またオオカミが来たぞと叫んでいる」と茶化す。
PKO法案のときも、特定秘密保護法案のときも、同じことを書いたじゃないかと馬鹿にする。
この自称保守側の「オオカミが来たぞ」理論は、実はもうとっくに破たんしている。
「原発は危険だぞ」とサヨクが叫んでいたのに、信じなかったのが自称保守派だ。
オオカミは来たのである。
「でも二度と来るもんか」と意地張ってるのが自称保守派である。
「アフガン・イラク戦争は大義なき侵略戦争であり、
失敗する」
と警告したのがわしである。
その時わしを「堕ちたゴーマニズム」と言って盛大に
バッシングしたのが、従米ポチ保守である。
だが結果はアメリカの敗北、撤退、米英は失敗を認めた。
危機を警告するのが「オオカミが来たぞ」であり、
根拠がある場合は、オオカミが来るのだ。
だが、イラク戦争の結果を見ても、従米ポチ保守は、
オオカミを見ないふりをする。
反省しない。わしに謝罪しない。
一方で、従米ポチ保守は「中国が来るぞ」という警告は
必死に発している。
危機感を煽り、安保法制に大賛成する。
オオカミは中国か、アメリカか?
戦前なら「日本は負けない、神風が吹く」と言って、
侵略を進めたのが軍部とマスコミと国民である。
その時代に「オオカミが来るぞ」と言うのは、
非国民とされるので警告自体が出せなかった。
だがオオカミ(米国)が来たのである。
オオカミは来てしまったらおしまいなのだ。
オオカミはこの国の人々を食い荒らし、洗脳して、
基地を置いて、永遠に目を光らせるつもりだ。
そして現在、従米保守派は、すっかりオオカミに洗脳されて、
こう叫ぶのである。
「オオカミに追従しろ!」
「オオカミに追従すれば村人は百年安泰だ!」

「オオカミが来たぞ」の寓話は、このように、もっと深く、
知的に考察するべき真実を含んでいる。


ここまでこだわってしまうとある種左巻きと変わらなく見えてくる。ただ、私とて「憲法改正」が現実味を帯びた時、現自民党改憲案のままなら反対の立場を取るので「改憲原理主義者(^^;)」的には中間過程の欺瞞に満ちた実効性確保の手練手管に不快感を抱きつつも「より良き状況」の確保に理解を示したいと思うわけである。

よしりんの主張はもっともだが、どちらか一つを選ぶしかない現状では、同じオオカミなら中国よりはアメリカのほうが日本には馴染みやすいのは間違いないだろう(爆)

賛成派の頭の中にある「反対派の無責任平和論」に対する嫌悪は、そのまま売国反日左翼活動家はもちろん、覇権主義国家を目指す中国に向かい、反対派の頭の中にある「賛成派の悪魔的野心」と言う嫌悪もまたアメリカや対米従属派に向かう。日本国内で彼らによる代理戦争が行われているのと同じではないか。

マスコミの主張がこれまでと違い国民の目を眩ますトリックとして機能しにくくなってきたのはインターネットの力であろうが、彼らの「嘘」を判断するときに必要なのは、「感情的でない現状判断・分析と実現可能な方策の見極め」ではなかろうか。

以前にも書いたと思うが、戦争の抑止力が最も高くなるのは、対峙する勢力の緊張がある一定レベル高まった時なのだろう。今のようなザル状態の法整備でガタガタ言っているようでは、些細な実効支配領域の変更すら防げない。国軍を持った東南アジアの諸国でも中国の環礁をベースにした軍事基地建設を止められないのだ。

また、ISのようなゲリラ的武装集団が日本国内で活動を始めることも想定して置かなければならない点でも、アメリカの傘の中にいる間に国内法はもちろん自衛隊が活動するための法整備を進める必要性はあると考える私なのだ。

JUGEMテーマ:社会の出来事
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メニュー【めにゅー】

明太高菜マヨ牛丼

以前から気になっていた(^^;)よく通る交差点に出来た「すき家」に行ってみた。牛丼屋も考えると1年近く行ってなかったような・・・それも吉野家に入ったのが最後だったような・・・朧気な記憶をたどりながら店に入り、メニューが選べるすき家ならではの「優柔不断」に2〜3分を費やし決めたのが上の画像のメニュー。

明太高菜マヨ牛丼+サラダセット=480円

牛丼に高菜の醤油漬けがトッピングされ、それに明太子マヨネーズが掛かっているシロモノ。頭で考えた味のイメージとのギャップを楽しもうと思ったのだが、あまりにもそのまんまの味に少し意外性を感じた(^^;)

牛丼の甘さと高菜のしょっぱさとマヨネーズのまろやかさと明太子のピリピリ感が交互に、あるいは絶妙にからみ合って・・・というよりはそれらの味がスクランブルされて、混ざること無く共存し、不思議なことに全く不愉快でなかった。相性がいい組み合わせなのだろうがもう少し「意外な味に変化」してる期待を持っていただけにソッチの方が期待はずれであった(^^;)

ただまぁ、考えてみるにこのトッピングの組み合わせは如何にも「貧乏学生が郷里から送ってもらった(恐らく博多)明太子と高菜を牛丼弁当に掛けその上からマヨネーズを垂らした」ような発想の瞬間が思い浮かばれる(^^;)

ようやくパートの仕事先も決まったので「ささやかなお祝い外食」でもあったのだが、もう少しイイものを食べても良かったような(^^;)・・・>いつも食べてから思う(爆)

学生のアルバイト時代以来のスーパー勤務(今回は完全に裏方)となった。一日4時間なので多少きつくてもなんとか続けられるだろう。

昨日は体力の衰えを確認するために2時間近くかけてウォーキングをしてみたら、歳を取ってる割にはその日の夜に早くも筋肉痛が訪れた(^^;)なので今日は朝からぎくしゃく動いている。健康診断と居住証明と給与振込用の口座開設とバイクで移動しつつ歩きまわる午前中。今度は少し疲労が腰に回ってきた。慌てて温熱シップを買いに回る(^^;)

とりとめのない半日を過ごし夕方からは職業訓練講座へ、昨日まででMS-OfficeのWord2007の入門編が終了。今日からはExcelだ。講座内容で新鮮だったのはWord2007のインターフェースがあまりに変わっているのに驚いたこと。以前から2000、2003のWordは多少触ってはいたものの、ガッツリ使ったことがなく、細かい修飾や設定は全くわからなかった。今回の受講で初歩はわかったため、以前触ったファイルなどを今開けば多少いじれると思えるようにはなった。ただ、自宅には互換のOpen Officeしか無いので、やはり使いかっては違うだろうが(^^;)

今日からはExcel、私が今回一番勉強したかったソフトである。ようやく数式設定やマクロなどの奥義への扉が開かれていくのか・・・と思いきや最初の1週間は退屈な基礎知識と初歩レッスンだそうな。


すき家のメニューもOfficeのメニューも豊富に揃っているが、本当に使いこなせるユーザーは案外少ない様に思えてならない。例えば今のすき家のメニューを順番に食べ比べる人はいるのだろうか?少なくとも私は自分の好みを2〜3種類試して後はそのローテーション。時々気が向けば食べたことのないメニューに浮気するぐらいで、どちらかと言えば「定番固定派」だ。OfficeのWordであれExcelであれ、すべての機能を網羅して書類を作る人は果たしているのだろうか?よく使う機能と全く使わない機能とがハッキリ分かれるほうが多いのではないか?

今通ってる講座は「オールマイティに使いこなせるように」あらゆる機能を試し書類を作るレッスンを繰り返す。本来業務では特定の項目をもっと細かく緻密に設定したりが必要になる気もするが、今の講座の内容はどこに何があるか、メニューの位置を覚えることが最優先でもあるように思う。

民主党政権も考えて見れば政府機関・官僚(官庁)の蓄積されたメニューの膨大さに押しつぶされたような気もする。

外から見える情報・状況だけで官庁の内部に広がる「想像を絶する部署の数とその役割の全て」を把握できないのと同様、内部に入ってみて見えてくる情報の経路や行政の意思決定の手順に目が回っているような感じがする。

一番目を回しているのは菅総理だし、とりあえず目で追っている(だけなのが)仙石官房長官と言う印象だ(^^;)
自民党が官僚に丸投げしていたのがよく理解できたのではなかろうか?しかし政権交代から1年が過ぎている。もうそろそろ「自覚を持ち責任を果たす」時期が来ていると思う。

それは「マニフェスト・公約」を実行することではなく、それに対する修正を含めた国民への説明である。これまでは民主党自体、政府側の把握が足りず説明しようにもできなかったことも多々あったろう。しかしこれからはそれでは話にならない。尖閣事件やAPEC、TPPなど政府が判断し国を動かしていかなければならない課題は山積されている。加えて北朝鮮の核開発や軍事的挑発と拉致被害者救済問題、左翼政権になって進展するどころか全く動かなくなった。

せっかく腐れ切った自民党に三行半を叩きつけたのに、このままいいところ無く民主党政権が瓦解してしまったなら、別の意味で「自民党のような半永久政権的政党」を生み出しかねない。・・・もう少し時間がかかると思うし、それは今の自民党であるとは思っていないがね。

そう、これだけいろんなメニューが用意された社会なのに、
政治だけはなぜいつもメニューがしょぼいのだろうか?(^^;)


やはり池上さんに聞くしか無いのだろうか(爆)

JUGEMテーマ:日常。


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迷走【めいそう】

子供のころは典型的な「テレビっ子」だった私。なので帰宅するとPCを立ち上げるのと同時にテレビもつける。ネットニュースやRSSリーダーとテレビでザッピング風にその日の主要情報をあさる。

今のように失業状態だとPCだけがほとんどで、没頭するあまり夜中までテレビをつけないこともある(^^;)早い時間帯のテレビに見るべきものを感じていない上に「電気代の無駄」としか思えない場合が多いので、最近はFMラジオをつけることが多くなった。

昨今の不況ではマスコミ各社ともに広告収入の激減は深刻なものらしいが、これらの主要企業の社員給与平均は一般企業のはるか上を行く高給取りが揃っている・・・と言われている。

こういう企業貴族が考える「庶民の娯楽」がもたらす弊害なのか、劣悪な労働条件にあえぐ下請けプロダクションの卑屈な迎合主義が悪いのかは知らないが、ハイビジョン化され美しい映像で映し出される番組内容のあまりの貧相さに辟易し、結局スポーツ中継やマニアックな放送内容のCS、BSデジタルにチャンネルを移すことが多い。
ただしCSは自局系列の番宣が多すぎるし、BSデジタルはテレビショッピングが多すぎる(^^;)どちらも数時間チャンネルを動かさずに見られない幕間のみすぼらしさが漂うものの、個々の番組は「見ようと思って見る番組」だけに地上波以上に視聴意欲は高い。如何に低予算であろうとも、マニアックな世界に浸り一般受けしないものであっても、「そこでしか見られない」番組コンセプトがしっかりしていてただ賑やかで騒々しいだけのバラエティではないのだ。

水戸黄門迎合と言えば、最近のTBSの番組劣化振りはものすごいと感じた。
もちろん名物番組と言うかテレビドラマ界の化石「水戸黄門」シリーズや「関口宏バラエティ」など長寿番組も多いが、定番化する番組と一発屋にすらなれずに消えていく番組のギャップの大きさを感じずにはおれない。番組コンセプト・キャスティングでの失敗はあるだろうし競合する裏番組の強さに敗れる場合もあったろう。

番組作りの劣化振りの象徴に見えたのが「こちら葛飾区亀有公園前派出所」だ。・・・というか、最初から見る気がしないのだ。超人気コミックであるがゆえに実写にする抵抗感が非常に強いだけでなく、SMAPの香取君をむりやり使って視聴率狙いが露骨に見えすぎている。香取君はけなげにがんばってるのだが見事に空転している感がある上に、それが初回放映前の各バラエティ番組へ「番宣出演」していたときに痛々しいほどに感じられたからである。

日曜ドラマの「官僚たちの夏」も、タイトルで見る気がしなくなる。これだけ官僚支配の弊害が謳われ、脱官僚をスローガンに掲げた民主党がボロ勝ちする世相で、「官僚」の活躍するドラマに抵抗感を感じない国民がいるのだろうか?ひとつのプロジェクトに打ち込む一個人としての役人や部署の群像劇として描いていくのであれば、もっと内容に則したタイトルの方が良いと思う。「官僚たちの夏」と聞けば、「悪しき仕組みを作り上げた組織犯罪劇」に聞こえてしまうし、逆にそれならそういう話でサブタイトルで「〜腐敗の起源〜」とでもしてくれれば私なら必ず見るだろう(爆)

もうひとつイマイチに思える点は報道番組の乱立だ。TBSは新聞社で言うと毎日系列で、伝統的に報道を重視する傾向がある。ただ、だからと言ってニュースをワイドショー化し、1週間に1度以上、毎日のようにやるのはどう考えても無理がある。朝昼の奥様向けワイドショーと同じレベルになるのは自明の理のはずだし、「みのもんた朝ズバッ!」「ひるおび!」「総力報道!THE NEWS」、深夜の「NEWS23」と、硬軟取り混ぜてはいるものの、明らかに過剰だ。TBS系はニュースワイドは土日にもそれぞれ「情報7daysニュースキャスター」「サンデーモーニング」芸能ワイドは「サンデー・ジャポン」「アッコにおまかせ!」まであるのだから他に企画は無いのかと言いたくなる。

まぁ、無いからこの状態なのだろうし、収益も落ちているのだろう。春の番組改編期に番組の放映日時をシェイクしたことがあったが、これも愚策の一語に尽きる。「番組の魅力」で視聴者を引き付けられると思っていたのだろうがうぬぼれもいいところだ。その日のその時間帯だから見てくれていたのであって、他の日他の時間帯にやったら、視聴者はより見たい番組にシフトするのは当然である。ギャンブルとしか言いようが無いし、いったいどういう根拠があってこんな大博打を実行したのだろうか。

報道機関としての「毎日」系列は、読売・産経ほど右翼的でなく、朝日ほど左翼的でもない中道派が魅力だったが、近年、変態ニュース掲載webサイトでの大失態や誤報騒ぎなど目を覆いたくなる惨状も珍しくなくなっている。
民主党によるメディア公的支援に頼るばかりでなく、毎日〜TBS系列も構造改革や組織改造が必要なのではないか。

そう、政府官僚組織や自民党以上に・・・である。



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Posted by soup2001 | comments(0)  trackbacks(0)



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