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特亜国家考察(2)−北朝鮮【とくあこっかこうさつ(に)−きたちょうせん】

金王朝
<画像元:中央日報>

前回の韓国に続いて北朝鮮を掘り下げてみたいが、韓国・北朝鮮ともに共通の歴史である「韓国併合」は避けて通れない歴史である。
古来より朝鮮半島には数カ国の小国がせめぎあいながら存在し、14世紀の李氏朝鮮時代にようやく朝鮮半島を統一する。このころ日本は室町時代、足利将軍の治世であった。その後日本が戦国時代を経て豊臣秀吉の天下統一〜徳川幕府の長期政権へと推移する中で、非常に安定した国家形態を維持した。

それはすなわち中国王朝(建国当時は「明」)の属国としての安定であり、秀吉の朝鮮出兵時でも自力での国土防衛はできていない。秀吉という日本を統一した権力者の「野望」と拡大経済を視点に入れた「国家事業」としての朝鮮出兵は、明治維新後の朝鮮を通過点にした「中国大陸への進出」「ユーラシア大陸(アジア側)の権益確保」という発想に共通するものがある。日本にとって「外に経済発展の原資を求める」意味ではまず朝鮮半島から勢力圏に納めるのは当然であろうが、どちらの場合も周到な計画とその後の方針はあいまいで、綿密な計画性があったとは思えないところが日本らしいといえば日本らしい(^^;)

太平洋戦争で日本と戦ったアメリカが、当初より「日本を破った後の戦後処理とその後の世界情勢を研究していた」周到さと比較しても、かなりいい加減な動機といわざるを得ない。

そのアメリカと日本は日露戦争の中、日本の戦勝が濃厚な日本海海戦のあと協定を結んでいる。

桂・タフト協定:wiki
桂・タフト協定および、第2次日英同盟、日露戦争の結果結ばれたポーツマス条約によってロシアにも韓国に対する優越権を認めさせた結果、事実上、列強のすべての国が大韓帝国に対する日本の支配権を認めた結果となり、その後、第二次日韓協約が締結され、大韓帝国の外交権はほぼ日本に接収されることとなり、事実上、保護国となる。しかし、高宗はこの第二次日韓協約の裏をかく形で再び1907年ハーグ密使事件を引き起こし、結果として退位させられることとなる。1910年8月29日、韓国併合が実現する。
この協定は、現代の大韓民国においては韓国の生存および主権問題に関して、アメリカがいかに信頼することができない国であるかの実例としてしばしば用いられる。韓国の歴史家には、日本によって韓国が併合された直接の原因であるとするものもいる。


桂+タフト

こういう裏づけの元、日本はロシアの南下政策に歯止めをかける政策の一環として、またその後日露戦争によって獲得した「南満州鉄道の利権」を守る意味でも「朝鮮半島の領有〜韓国併合」へと傾斜していく。それはそのまま「大陸への野心」に変貌していくわけだが、それは別の話。
少なくとも植民地化した朝鮮半島は日本によって近代化され、朝鮮戦争後の日韓基本条約に基づく莫大な援助で日本に次ぐ近代化に成功した。アメリカが領有したフィリピンは、日本と比較して植民地政策こそ温和であったが、フィリピンに資本を投下せず、近代化にも消極的であった。

それは国土の地理的特徴など理由はあったにせよ、日本と欧米の植民地に対する考え方の違いをよく表している。

大東亜戦争(太平洋戦争)で敗北した日本は、第1次世界大戦以前の領土にまで領域を縮小され、朝鮮半島は北緯38度線をはさんで、アメリカと戦争末期に途中参戦したソビエトの両国が分割統治した。

歴史にifは禁句ではあるが、もし、日本が「ソビエト参戦:1945年8月9日(昭和20年)」以前に「ポツダム宣言:1945年(昭和20年)7月26日」を受け入れていれば、この朝鮮半島の環境は相当違っていただろう。

北朝鮮はソビエト共産党の意思を明確に表した国家であったというのが通説だが、背景にはソビエト共産党に通じ、反日解放戦線側に潜伏した日本軍のスパイ・残置諜者(ざんちちょうじゃ)を含む政治体制であったという説もある。それは北朝鮮という社会主義の皮を被った「天皇制に似た全体主義王朝」の実現を図ったものであるという少々「トンデモ系」の陰謀論だ。

陸軍中野学校のスパイが建国した「第2の日本」北朝鮮が、朝鮮半島統一に動き出せば、日本は全面協力する:板垣 英憲「マスコミに出ない政治経済の裏話」
北朝鮮の事情に詳しい外交専門家筋の間では、「横田めぐみさんは、新潟県の海岸から北朝鮮の工作員に拉致されたけれど、そのとき、日本の警察と自衛隊が、周囲から見守っていた」「北朝鮮は、大日本帝国陸軍のスパイ養成学校である中野学校出身の残置諜者が、日本を守るための第2の日本として建国した」「皇室の血を受け継ぐ横田めぐみさんは、北朝鮮の女帝になっている」「横田めぐみさんは、2012年5月、7月、9月の3回、密かに帰国して、公安警察と交渉したが、失敗し、今後は皇室関係者と相談すると言い残して北朝鮮に行った」等々、様々に取り沙汰されている。真偽のほどは、間もなくわかるであろう。


なんだかスパイ・アクション映画の数本ぐらいあっという間にできそうな話だ(爆)

日本民族は、関東軍参謀たちがセットした朝鮮半島分断策に見習い、新たな「策略」を練り上げる必要がある:板垣 英憲「マスコミに出ない政治経済の裏話」
 ――戦前の朝鮮軍(日本の朝鮮派遣軍)は、第十九師団(羅南)と第二十師団(ソウルの龍山)の二つの師団で朝鮮半島を押さえていました。一方、関東軍はさらに北の満州を支配していました。これに対し、ヤルタ会談において、ソ連軍が対日戦争に参加して勝利した場合、関東軍をソ連が、朝鮮軍をアメリカがそれぞれ武装解除するという密約がなされました。しかし、これを日本のスパイが嗅ぎつけ、それを知った日本陸軍は関東軍の守備地域を三十八度線まで南下、拡大させたのです。日本が無条件降伏をしたのですから、ソ連はアメリカとの条約によって、関東軍の武装解除をする権利があるわけです。それで朝鮮半島にソ連軍が入ってくることになります。米ソの対立はこうして始まるのです――。


 悄峩眄菊は日本人だった」元自衛隊南西航空混成団指令空将佐藤守 著(講談社)』はトンデモ本ではありません。その1:Ddogのプログレッシブな日々
しかし、これではまるでトンデモ本で「と」学会で取り上げられてしまうのではと心配しつつ読み進めると、これはあくまでも推測にはすぎないが、十分にありえる話ではなかろうかと思った。トンデモ本もどきのタイトルではあるが、戦後現代史を塗り替える可能性を秘めた本の一冊である。


ある意味で「日本が東西冷戦を操っている」と考えるのは痛快感もあるわけだが(^^;)状況証拠のみでここまで類推するのは朝鮮民族の「ウリナラ・ファンタジー」級の妄想に思えてならない(爆)
ただ、日本軍のスパイ・残置諜者というのは実在したわけで、フィリピンのルバング島で戦後30年にわたり潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉などがいい例である。孤独で活動していた小野田少尉は時間が止まっていた訳だし、状況の変化が見えなかったから見事なまでの潜伏を行った。関東軍の朝鮮半島での戦線の後退が意図的であったことは、諜報網を持ち周囲が見え、情報戦が専門の「残置諜者」が潜伏していた朝鮮半島においては、あながち無い話ではない。

金策(キム・チェク)=畑中理というのが一部でささやかれている説だが・・・

畑中理
※後列左から金日成、金正淑夫妻と日本人の畑中理夫婦。前列は金正日、金敬姫
<画像元:横田めぐみさんの現在の夫と僕の推理>

同じ様な「戦争誘導謀略」は、日本軍も中国のトリックに引っかかっている点でも理解できよう。

西安事件:wiki
スターリンによる国際共産党は、事件以前から中国共産党に対して、蒋介石と日本軍を戦わせて両者を共倒れさせることにより、中国の共産革命を成功に導くよう、指令を与えていた。

日本は日本で大陸にもともと野心があった上に、当時陸軍はソビエト戦を想定していたといわれ、国民党軍から絡まれて引くわけには行かなかっただろう。行きがけの駄賃程度に見くびっていた事が後に致命傷になってしまう。

日本が日中戦争に引きずり込まれた経緯は、痛恨の極みだが「官僚化した日本陸軍が中国軍を舐めきっていた」点も含めて、術中に落ちた事は否定できない。不用意に戦線を拡大する愚を今度は米ソに対して仕掛けた「意趣返し」の面でも、このあたりの駆け引きが未だに極東アジアの懸案になっている事は、果たして誰が望んだ事だったのだろうか?

その後北朝鮮が「統一」を名目に南進し朝鮮戦争が始まるが、これが無ければ韓国の李承晩政権は対馬占領を画策していたとも言われている。そうでなくても韓国内の共産主義者弾圧は続き死者はさらに増えていただろう。

" 朝鮮戦争の真相"  :今日の嫌韓・嫌中の極秘・情報と、安倍さん麻生さん応援!
韓国の李承晩政権は活発に米議会でのロビー活動を展開しながら、米国政府に対しては(サンフランシスコ講和条約草案において)、再三に亘って執拗に対馬、竹島を日本領から外すように要求していた。そこで李承晩は、国際法上、根拠のない勝手な李承晩 LINEを引き、まず竹島を奪った。ところが、米国国務省は、その韓国政府の要求を再三にわたって断固として拒絶していた。

ラスク書簡

そうしていたところ1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の声明をなし(※年頭会見は1949年1月7日の誤り、1950年1月は後述のアチソン・ラインの表明がされた時期)、「連合軍の一員(朝鮮進駐軍)」ということを自称し、朝鮮半島南部での大演習を装って対馬、九州北部への侵攻計画を実行に移しはじめた。
それを察知したマッカーサーは激怒して李承晩政権に警告を発した。
つまり、「もし韓国が、国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」とである。

李承晩は「北の脅威」を「同胞」として甘く見ていて、その警告を無視して韓国軍主力を朝鮮半島南部に大移動を始めた。対馬に攻め込もうと軍隊動かした訳で、もう少しで対馬侵攻が始まる寸前だった。

それを見て激怒したのはマッカーサーだけではなかった。
それまでの韓国政府(李承晩政権)の執拗な、対馬、竹島に関する要求を知っていた国務省も激怒した。それでマッカーサーの警告を後押しする意味で、アチソン国務長官
「朝鮮半島は米国の守備範囲でない。」旨の声明を出した。(1950年1月)


アチソンライン

黒い線が当時のアチソンラインである。この内側が米国の守る範囲と表明した為、半島は米国防衛範囲外とされた。(ピンクは現在の米国防衛範囲、青は海上交通路)韓国軍主力の殆どが半島南部に移動していて、38度線の韓国軍側防御が手薄になっていたことに加えて、米国国務省の「韓国は守備範囲でない。」その旨を聞いた北朝鮮金日成(キムイルソン)とスターリンは小躍りして喜び、南侵策を決行することにした。対馬に攻め込もうと韓国軍主力を朝鮮半島南部に動かした所で北朝鮮に突かれたのである。それが朝鮮戦争の真相だ。

朝鮮戦争いやはや、えげつない連中である(^^;)これを見ると李承晩の狂気じみた野望が垣間見える。
彼の側に立ってみた場合、この行動の基本には日本への憎しみがあり、韓国併合をし、敗戦時にまで南北分断の原因を画策した日本への復讐の意図もあったのかもしれない。どちらにしてもアメリカは最初(桂・タフト協定の時代)から朝鮮半島に興味は無かったというのがはっきりする。

黒船のペリーの時代から海洋権益を重視し太平洋を支配するアメリカにとっては、日本こそが最大の戦略上の要衝であり、そのために戦後日本を主導的に占領しいち早く沖縄に基地を作った事も理解できる。

結果として朝鮮特需として日本を利する形になったのは、李承晩には痛恨だったろうがこの一連の行動に北朝鮮が乗ったあたりは、ソ連と金日成の願望だけでなく「日本の援護射撃」としての視点があったのだとしたら、関東軍の残置諜者の能力も大したものだ(^^;)
→朝鮮半島を南北に移動する戦線<画像元:wiki>

そして北朝鮮による「日本人拉致事件」にもつながる訳だが、このあたりは少し無理があるようにも思うのは私だけだろうか?(^^;)

共産党勢力は第二次世界大戦中も世界で自軍に有利になるような諜報工作を行っており、強力な「反資本主義」の思想によって犠牲になった人間も多数存在する。それは金日成率いる北朝鮮軍においても同じだ。


303高地の虐殺:wiki
朝鮮戦争初期の1950年8月17日に、韓国慶尚北道漆谷郡倭館邑(ウェグァンゆう)の丘(303高地)で行われた戦争犯罪事件。釜山橋頭堡の戦いの作戦行動中に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)に捕らえられたアメリカ陸軍の捕虜41人が、2日後に、北朝鮮軍の兵士によって機関銃で銃殺された。

303高地の虐殺


おそらく第二次世界大戦前後がもっとも苛烈に共産主義と自由主義が直接的にせめぎあった時代だろう。ベトナム戦争終結(1975年)までの代理戦争期、その後の民族対立を交えての泥沼化など東南アジアでは戦乱が続くが、これらのイデオロギー闘争の影には常に大国間の思惑が付きまとい、それに翻弄されたアジア諸国の悲劇が付きまとう。
北朝鮮では停戦直後から、国内の締め付けはもとより情報統制が行われ、それらの非人権的な政策が、当時からもれ伝わる事も少なくなかった。

強制収容所 (北朝鮮):wiki
日本でいう刑務所や韓国でいう教導所にあたるが、これらの国での犯罪者への処遇とは違い、非常に過酷な労働(一日10時間以上という例もある)を課せられたうえ、監視員による正当な理由のない私的制裁(女性受刑者への性的暴行を含む)を受ける。
単なる犯罪者とは違い、政治犯に対する処遇には、釈放される機会が与えられている「革命化区域」と、一度入ると二度と外へは出られない「完全統制区域」の二種類があり、政治犯は監視員の裁量でしばしば銃殺される。


北朝鮮によるテロ事件一覧:wiki

朝鮮戦争
1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦。成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。

アメリカ国防総省:アメリカ軍は戦死者3万3686人、戦闘以外での死者は2830人、戦闘中行方不明は8176人にのぼる。西側の推定によれば中国人民志願軍は10万から150万人(多くの推計では約40万人)、人民解放軍は21万4000から52万人(多くの推計では50万人)の死者をそれぞれ出している。また約24万5000から41万5000人にのぼる韓国側一般市民の犠牲が明らかにされ、戦争中の市民の犠牲は150万から300万(多くの推計では約200万)と見積もられている。

中華人民共和国側の公式情報:中国人民志願軍は戦死者11万4000人、戦闘以外での死者は3万4000人、負傷者34万人、行方不明者7600人、捕虜2万1400人となっている。これらの捕虜のうち約1万4000人が中華民国へ亡命し、残りの7110人は本国へ送還された。また中華人民共和国側によれば、北朝鮮は29万人の犠牲を出し、9万人がとらえられ、「非常に多く」の市民の犠牲を出したとされる。これに対して、中華人民共和国と北朝鮮は約39万のアメリカ軍兵士、66万の韓国軍兵士、2万9000の国連軍兵士を戦場から「抹消」したと推定している。
戦線が絶えず移動を続けたことにより、地上戦が数度に渡り行われた都市も多く、最終的な民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われ、全体で400万人〜500万人の犠牲者が出たという説もある。内訳は北朝鮮側の死者250万人、韓国側は133万人で大多数が一般市民だった。

破壊されたソウル市内の建物
<画像元:wiki>

滄浪号ハイジャック事件
1958年2月16日に大韓航空の前身である大韓国民航空社(1946年設立、KNA)の旅客機が、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員によってハイジャックされた事件。

青瓦台襲撃未遂事件
1968年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ゲリラにより発生した、大韓民国大統領府「青瓦台」(청와대、チョンワデ)への襲撃未遂事件。

李承福事件
韓国江原道で北朝鮮の武装工作員に少年が殺害された事件で、韓国においては反共主義のシンボル的存在として知られる。

大韓航空機YS-11ハイジャック事件
1969年12月11日に大韓航空(KAL、칼)の旅客機が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の諜報員によってハイジャックされた事件である。


文世光事件
、1974年8月15日に大韓民国(韓国)大統領・朴正煕の夫人、陸英修が在日韓国人の文世光によって射殺された事件である。(朴正煕大統領暗殺未遂事件)

ラングーン事件
1983年にビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)で発生したテロ事件。「ラングーン爆破テロ事件」、「アウン・サン廟爆破事件」などとも呼ばれる。
事件は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員により、ビルマを訪問中であった大韓民国(韓国)の全斗煥大統領一行の暗殺を狙って引き起こされた。


大韓航空機爆破事件
1987年11月29日に大韓航空の旅客機が北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破されたテロ事件である。
※女性工作員「金賢姫(日本人を騙った偽名:蜂谷真由美)」の証言によって北朝鮮の日本人拉致と思われる人物の存在が確認された。
金賢姫
<画像元:中央日報「米、金賢姫の発言分析…大韓航空機爆破は北朝鮮の仕業と結論」>

北朝鮮による日本人拉致問題
1970年代から1980年代にかけて、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員や土台人、よど号グループなどにより、多数の日本人が極秘裏に北朝鮮に拉致された国際犯罪事件。日本では国民の生命と安全に大きな脅威をもたらすテロとされている。北朝鮮は長年事件への関与を否定してきたが、2002年平壌で行われた日朝首脳会談で日本人の拉致を認め、謝罪し、再発の防止を約束した。

朝鮮戦争が停戦しても国内には強力な統制を敷き、国際的には数々のテロ事件が引き起こされ、謀略国家としての特性を発揮している。日本における「赤軍派のテロ活動」を非常にわかりやすい形で国家レベルで体現しているようなものだ。

グローバルな国家犯罪で外貨を稼ぐ北朝鮮〜犯罪を抑止しなければ、経済制裁は効かない〜
朝鮮民主主義人民共和国という特異な国家機構がその権力を直接に動員して、まさにグローバルな規模で展開している麻薬や偽造紙幣の製造と密売、サイの角や特殊ダイアモンドなど禁制品の捕獲と密売、外国犯罪組織と結んでのマネー・ローンダリング(資金洗浄)、そして大量破壊兵器関連の違法な取引などという不法行為である。


情報機関を持ち敵対国を中心に工作を行う図式は世界的にもなんら珍しくは無いが、これほどはっきり国家主導のテロと認定される事件が多いのも北朝鮮の特徴だろう。それにも拘らず「犯罪」として処理され、国連軍などの懲罰対象にならなかったのは、これらの活動が背後で大国の意思に関連するものであったり、何らかの外交的影響をもたらすべく実行された可能性があると思われる。いずれにしてもテロ・人権侵害・麻薬・偽札製造とは諜報活動を専門とする機関の最も得意とする戦術。あわせて言えば列強と呼ばれた侵略国家には必ず存在した犯罪的工作である。

それだけに「核保有問題」が深刻化しつつある今、東西冷戦時代とは異なる力学・大国間の思惑にどの程度北朝鮮が影響されているのかが非常に見えにくい。・・・我々日本から見ると「北朝鮮」は国際的に孤立しているように見えるが、世界各国は正式に国交を結んでいる。断交状態にある日本の方が珍しい存在だ。

朝鮮民主主義人民共和国の国際関係:wiki

北朝鮮の国交

もう一つ、日本と北朝鮮を語る上で外せないのが「在日朝鮮人の帰還事業」である。

在日朝鮮人の帰還事業:wiki
1950年代から1984年にかけて行なわれた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住のこと。(中略)
日本と北朝鮮には国交が存在しなかったため、日本赤十字社(日赤)と朝鮮赤十字会(朝赤)によって実務が行なわれた。1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航し、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。93,340人が北朝鮮へと渡り、そのうち少なくとも6,839人は日本人妻や子といった日本国籍保持者だった。在日朝鮮人は日本から地理的に近い朝鮮半島南部の出身者が多かったが、そのような者にとっては、祖国ではあるが異郷への帰還となった。帰国船の費用は北朝鮮が負担し、事業の後期には万景峰号(初代)が使われている。日朝間を頻繁に行き来する帰国船は、北朝鮮による朝鮮総連への指導・連絡や日本・韓国への工作員送り込みにも利用された。(中略)

在日朝鮮人の間では、朝鮮戦争による荒廃からの復興が進まず、また政情不安を理由に、韓国への帰国を不安視する一方で、社会主義体制のもとで千里馬運動により急速な復興を実現したとされていた北朝鮮への憧れもあった。当時、北朝鮮と韓国の体制間競争は北朝鮮が優位に立っており、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がない」と宣伝し、それに呼応した日本の進歩的文化人・革新政党・革新団体が繰り返し北朝鮮の経済発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促した。特に北朝鮮を訪問して礼賛した寺尾五郎の『38度線の北』は、帰国希望者に大きな影響を与えたといわれる。


朝鮮戦争の影響で荒廃した朝鮮半島は、北朝鮮の方が経済的にも政治的にも安定しており、共産主義的強権による統率の効果もあって「韓国よりも住みやすい国」というプロパガンダが公然と行われていた。密入国を含め不法滞在朝鮮人をできるだけ排除しようとでもしたのか、この帰国事業は爆発的な広がりを見せ、ある種「第一次韓流ブーム」を起こしたが、これが自然発生的なものというよりは宣伝(プロパガンダ)による「ごり押し」とも思える点も、最近の「韓流ブーム」に近いものがあるのかもしれない。

国民の多くが貧しく、生活苦を抱えていた時代。「夢を見させる団体」の言葉に飛びつく者が大勢いた事もその後の「帰国または移民」していった人々の「詐欺被害者」としての側面を際立たせる。

いずれにしても、決して楽園でなく、独裁制で人権無視のならず者国家である北朝鮮は、現在も貧しくとも強力な統制によって国体を維持し続けている。内部的には不穏な噂が絶えないものの、グダグダに腐敗を重ねる韓国に比べるとかえって安定しているのかもしれない。そんな正体不明な国家だが、大日本帝国の劣化コピーが北朝鮮なら、共産化以前の中国の劣化コピーと思える韓国より相手としては交渉しやすいのかもしれない(^^;)
対処法としては南北併せて「妥協なき突き放し外交」で十分であろう。拉致問題の解決を餌にされた場合でも餌にするべくはこちらの経済力でしかないため、確かな結果を伴わない限り交渉は成立させる事はない。

北朝鮮への忠誠を誓う東京朝鮮学校の生徒たち

※youtube概要より:「公演に参加した在日朝鮮学生少年芸術団は、日本各地の朝鮮学校から選抜された1­00人の生徒で構成されている。」

韓国に比べて情報が極端に少ない国であるが、日本での北朝鮮交流の窓口となっている組織「朝鮮総連」の反日的言動は少なからず知られているし、朝鮮学校への補助金(無償化)問題では厚顔無恥な主張を繰り返しており、南北朝鮮ともに「反日思想によって国体維持」「日本に集(たか)ろう」とする意図はまったく同じである。上記の動画のような事を教え、生徒に実演させる施設になぜ日本人の血税を投入しなければいけないというのだろうか。

いずれにしても、日本が少なからず絡んでいるとはいえ、よくもまぁこんな「ややこしい国」が南北にあるものだと今更ながら呆れ返る(爆)

【新唐人2013年3月15日付ニュース】


<関連記事>
特亜国家考察(1)−韓国【とくあこっかこうさつ(いち)ーかんこく】
特亜国家考察(2)−北朝鮮【とくあこっかこうさつ(に)ーきたちょうせん】
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