ブログパーツ
<< 旭日の嚆矢【きょくじつのこうし】 | home | 絶句【ぜっく】 >>

帝国の功罪(1)【ていこくのこうざい(いち)】

日本の近代史を語る上で絶対に無視できない存在が「大日本帝国」である。戦後70年にもならんとする現代に至るまでその影響は深く、近隣諸国はもちろん世界的にもこの時期の日本という存在は興味深い存在である。以前「特亜国家考察」シリーズで近代史を国別に振り返ってみたが、今回は「大日本帝国」が行ったこととその後(現代)の影響を中心に掘り下げてみようと思う。
前回と同様に不定期・不連続のシリーズとなる。まだ私自身もどの程度の規模になるか想像がつかないが(^^;)よろしければお付き合いいただきたい。

大日本帝国の成立と発展

近代化日本の象徴でもある国体としての「大日本帝国」というのは、当然ながら明治維新直後、最初からの政治体制ではない。はっきりと形になったのは1889年(明治22年)に発布され翌年施行された大日本帝国憲法からである。

大日本帝国:wiki
大日本という表記は「オオヤマト」としては古来用いられており、明治時代に国名として初めて使用されたという訳ではない。 帝國も訓読され「スメラミクニ」(皇御国)として古来我が国の通称として用いられてきたものであり、古代に始まる天皇国家たる事実に基づくもので、政治や思想、主義、規模等に基づく「Empire」(帝国)とは一線を画している。


明治維新直後の日本は、天皇親政を名目に数名の総裁・議定・参与の三職を中心とした薩長連合政府であった。政治思想的にも「帝国」の概念は薄く、欧米列強の侵略・内政干渉を排除するために近代化を優先、殖産興業を振興し「富国強兵」をひたすら求めた時期でもある。
この日本の歴史上最も急変的な制度改革の弊害は、西南戦争に至るまでの国内での反政府暴動(蜂起)に見て取れる。

西南戦争
「田原坂合戦の圖」<画像元:西南戦争錦絵美術館>

この反政府行動の遠因に士族の不満の爆発というものがあるが、最後にして最大の内戦となった「西南戦争」の場合は、西郷隆盛を代表とする「国内残留派」と岩倉使節団などの海外視察組である「洋行派」の考え方の違いが決定的な対立を招いたと見る考え方もある。言わば「保守」vs「革新」の戦争であり、この場合は「革新」派の明治新政府が勝利した。

海外を見た「洋行派」は、急激過ぎる変化をもたらし弊害が出たとしても、それを乗り越えなければ世界に取り残されるどころか、欧米列強の支配に屈するリスクが高いと考えたのは当時としては無理もないと思われる。しかし西郷の急ぎすぎることを危惧する考えも当然であるし西郷はそうした「新しいものへの拒否反応を全て引き受けて心中する」くらいの覚悟はあったようにも思われる。

岩倉使節団
<画像元:彦九郎と歩むページ>

そういう「損な役回りでも国のためになるなら一命を惜しまず」という心情は、当時の士族階級には強くあったことは、幕末の討幕運動や戊辰戦争が最後に北海道で終結するまでの戦いで幕府側・維新側の区別なく感じられる特徴でもある。

この西南戦争で不平士族集団を粉砕したことで、これまでの武士の時代が完全に終わったことが日本人の共通認識になったことは間違いがないし、それまでの身分制度が崩壊したことに庶民レベルでの高揚感は非常に高くなったことは想像に難くない。

実際は旧士族や公家などの貴族階級は官位・爵位を得て、大きなくくりでの身分制度に塗り変えられただけであったが、表向きにでも絶対権力者たる階級が天皇(宮)家以外には無くなり、「無礼討ち」など身分の差だけで生命を奪われる差別が無くなったことは庶民には相当な開放感があったのではなかろうか。

日本の近代化の功績を数字で見てみよう。

日本の人口統計〜歴史人口学による推計:wiki
現代の歴史人口学研究者の推定では、日本の人口は8世紀には450〜650万人。1000万人を越えたのは中世後期、早くとも15世紀以降と考えられている。江戸時代前半の17世紀に急増し、18世紀から19世紀は3000万人前後で安定化した。


江戸前期
享保17年(1732年)3110万人※推定値+補正含む
天明 6年(1786年)2935万人

江戸後期
天保 5年(1834年)3166万人
弘化 3年(1846年)3148万人

江戸末期
嘉永 5年(1852年)3106万人
文久 2年(1862年)3288万人

明治維新以降
明治 5年(1872年)3480万人(+ 192万人)
明治15年(1882年)3726万人(+ 246万人)
明治25年(1892年)4051万人(+ 325万人)
明治36年(1903年)4555万人(+ 504万人)
大正 3年(1914年)5275万人(+ 720万人)
大正13年(1924年)5888万人(+ 613万人)
昭和 9年(1934年)6830万人(+ 942万人)
昭和19年(1944年)7306万人(+ 476万人)
昭和29年(1954年)8830万人(+1524万人)

国勢調査以前の日本の人口統計〜全国人口:wiki

年齢(各歳),男女別人口(各年10月1日現在)−総人口(大正9年〜平成12年)※Excel書類ダウンロード:e-Stat政府統計の総合窓口

江戸時代は自然災害も多く飢饉などで人口減少もあったため3100万人程度を上限に増減を繰り返していたが、明治維新による文明開化・経済政策の効果で福祉的医療環境の充実により人口が急激に増えていることがわかる。
ただしこのデータにはかなりの誤差があり江戸時代のものには琉球(沖縄)は含まれず、戦前の植民地である台湾・朝鮮・樺太の人口は含まれない。

ちなみに朝鮮の人口推計を見てみると、

1904年(明治37年) 710万人 ※日露戦争(1904年〜)李氏朝鮮による調査
1907年(明治40年)1167万人(+ 457万人)※日本(朝鮮総督府ほか)による調査
1910年(明治43年)1313万人(+ 146万人)※韓国併合
1942年(昭和17年)2553万人(+1240万人)※日本敗戦の3年前

日本統治時代の朝鮮〜人口推移:wiki
※李氏朝鮮による調査は徴税を目的としているため申告式であり、身分と収穫率にしたがって軍役と無関係な一部の女子、賎・奴などの疎外層は申告から除外されたり漏らされたりしているので、実際は調査結果の1.5倍程度の人口があった可能性がある。


1904年からたった3年で450万人も人口が増えるのは不自然なので、やはり李氏朝鮮政府の調査が不正確であったと考えるべきだろう。保護国にして行政をコントロールし始めた途端に人口が増え、併合から約30年後にはほぼ倍増しているところを見ても日本側の近代化政策による恩恵は、朝鮮半島でも如実に現れている。併合による民族差別などはあったにせよ、それまでの李氏朝鮮政府ではなしえなかった多岐にわたる近代化と福祉政策は朝鮮民族の生活の向上に役立ったことは間違いない。

南大門通り
1888年 ソウル 南大門大通り<画像元:http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/cyousenrekishi.html>

GDPグラフ
※クリックで画像拡大

1人当たりGDPの歴史的推移(日本と主要国):社会実情データ図録
 明治維新で富国強兵の道を進んだ日本に比べ、中国や韓国は近代化に遅れ、欧米との格差が広がり、世界平均を大きく下回る軌道となった。韓国は1980年代に世界平均を上回り、大きく成長し、今や先進国水準となった。中国もなお世界平均には届かないものの1990年代以降成長軌道に乗った。


成長率
※クリックで画像拡大
<画像元:図録▽経済成長率の推移(日本の戦前及び戦後直後):社会実情データ図録 ※歴史的事象は管理人により追加>

朝鮮半島の植民地経営に関してはまた別項で検証するとして、日本としての経済はGDPの伸び率に比して成長率は驚愕するほどの乱高下を繰り返している。戦争や災害、世界経済の影響を受けるとはいえこれでは国家経済の脆弱性が中々解消できるはずがない。

日本の経済史〜明治政府と富国強兵:wiki
 明治政府が成立して徳川幕府を倒すと、明治政府は「富国強兵」「殖産興業」政策によって、軽工業を中心に工業化・近代化を遂げ、株式市場での直接金融による資金調達をおこなう近代的な市場経済を発達させた。主な輸出品は絹糸、マッチ、電球などの軽工業製品であり、特に絹糸は、第二次世界大戦終結まで「外貨獲得産業」ともなった。又、1900年代には鉄鋼など重工業も始まったが発達せず、輸入超過が続いた。
財閥と呼ばれた巨大企業は、1900年代から多くの分野に手を出し始めた。日清戦争と日露戦争と、度重なる対外拡張政策などにより、日本の対外債務は膨張。1905年から1914年にかけての時期は不況となり、明治維新以来の経済体制は崩壊の危機に瀕した。
又、第二次大戦終結まで続いた「富国強兵」時代の経済指標として、軍艦の保有数が目安にされていた。


国家歳出中に占める軍事費
※クリックで画像拡大
<画像元:日本の面影 ※歴史的事象は管理人により追加>

国家歳出の85%が軍事費になっている大東亜戦争時は別格としても、大きな戦争を行っている場合は歳出の大部分が軍事費ということになる。戦争特需で国内産業は短期的なバブル状態かも知れないが、戦争が終われば反動を受けて景気の縮小が起こり、不況になる繰り返しとも言える。

戦前の主要国GDP
※クリックで画像拡大
<画像元:UNITED DEFENCE(第二次世界大戦前・戦中の主要国国力)※図表を一部改変>

後の第二次世界大戦時の枢軸国と連合国のGDP比較である。国力の差は歴然で富国強兵を進め、世界的には軍事大国になりつつあった日本だが、日米戦争開戦時にアメリカの20%のGDPにまでしか到達していない。枢軸国のドイツもわずかに日本を上回る程度で、アメリカを敵にすることがどういう結果を招くか、理解できない政治家はいなかったろう。

経済的には日本民族の得意(?)とする一極集中型の急成長ぶりは、戦後復興や災害復興でも見られるが明治維新という劇的な変化の中でも同じように「日本人の民族活性化」が起こっていたといえるかもしれないし、それによって富国強兵は成果を出したといえるかもしれない。

2度の対外戦争と間接的な参戦(第一次世界大戦)で軍事大国化に成功した日本だが、国内的には帝国憲法を制定する時点で「帝国」という言葉を用いたことで、日本の求める国家像を明確化したとも言える。

帝国主義:wiki
帝国主義(ていこくしゅぎ、英語: imperialism)とは、一つの国家が、自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを拡大するため、あるいは新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策。


植民地主義:wiki
植民地主義(しょくみんちしゅぎ)とは、国家主権を国境外の領域や人々に対して拡大する政策活動と、それを正当化して推し進める思考を指す。
政策活動に際しては、資源、労働力、そして市場を経済的に支配することが原動力となる。さらに、植民地主義を正当化するのは、植民者が被植民者より優れており、また、植民地支配はその近代化に必須の経済基盤・政治基盤を発展させることに繋がるので、被植民者にとって利益になるのだという考え方である。


日本にとっての脅威とは、日本に直接外交使節を送り込んできた欧米列強の中でも日本に一番近く「南進」の野心を露わにするロシア帝国であったろう。

だが、上記wikipediaの定義を見る限り、欧米列強はもとより新興帝国の日本もまた「侵略的」な国威拡大路線を求めていたことは間違いなかろう。当時でももちろん平和共存の思想は有り、普遍的には肯定的ではない考え方ではあったが、世界的に植民地主義の時代であり、国家的には大義名分さえ得られれば財政の許す限りこれを求めることが当然とされた「弱肉強食」の時代でもあった。

上述の韓国併合や中国大陸への度重なる出兵は、当時の日本の独立と安全保障上の危機管理や資源を持たない国としてのエネルギー政策・経済振興など多岐にわたる国内問題の活路を国外に求めざるを得なかった点と、軍事力に物を言わせて国益を追求するのが、当時の国際的な競争力の自然な形であった点は、日本が「侵略的野心」をもたせる最大の要因になったことは想像に難くない。

以上おおまかに経済面をなぞってみたが、次回以降はもう少し細かいディティールを追いながら、大日本帝国の歩みを見ていこうと思う。

<関連記事>
●第一期
帝国の功罪(1)【ていこくのこうざい(いち)】大日本帝国の成立と発展
帝国の功罪(2)【ていこくのこうざい(に)】明治維新初期の産業と貿易
帝国の功罪(3)【ていこくのこうざい(さん)】江戸〜明治時代の教育レベル
帝国の功罪(4)【ていこくのこうざい(よん)】国民病「脚気」と「結核」
帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】北海道の光と影〜先住民族アイヌ
帝国の功罪(6)【ていこくのこうざい(ろく)】北海道開拓使の時代
帝国の功罪(7)【ていこくのこうざい(なな)】沖縄県民の歴史と感情
帝国の功罪(8)【ていこくのこうざい(はち)】廃仏毀釈と士族の冷遇
帝国の功罪(9)【ていこくのこうざい(きゅう)】売春婦と人身売買
帝国の功罪(10)【ていこくのこうざい(じゅう)】職業売春婦と慰安婦
帝国の功罪(11)【ていこくのこうざい(じゅういち)】日本軍の慰安所と慰安婦

●第二期
帝国の功罪(12)【ていこくのこうざい(じゅうに)】明治維新以前のアジア情勢と日本の安全保障
帝国の功罪(13)【ていこくのこうざい(じゅうさん)】明治維新の黒幕たち
帝国の功罪(14)【ていこくのこうざい(じゅうよん)】明治新政府の統治能力と藩閥
帝国の功罪(15)【ていこくのこうざい(じゅうご)】大日本帝国憲法と帝国議会の構成
帝国の功罪(16)【ていこくのこうざい(じゅうろく)】大日本帝国憲法の本性
帝国の功罪(17)【ていこくのこうざい(じゅうなな)】「天皇」の冤罪
帝国の功罪(18)【ていこくのこうざい(じゅうはち)】日本軍の黎明
帝国の功罪(19)【ていこくのこうざい(じゅうきゅう)】日本海軍と軍内部の抗争

●第三期
帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】明治時代に勃興した財閥と軍事産業
帝国の功罪(21)【ていこくのこうざい(にじゅういち)】侵略という思想
帝国の功罪(22)【ていこくのこうざい(にじゅうに)】自由民権運動の変節

JUGEMテーマ:歴史
Posted by soup2001 | comments(2)  trackbacks(0)



スポンサーサイト

Posted by スポンサードリンク | -  -



comments
Re:
これからの記事、楽しみにしております。
私もボチボチ、中断したままの日本近代史のシリーズを復活させます^^
やまさん | 2014/09/03 21:11 |
Re:
>やまさん、毎度♪

おお、そちらも再開されますか!長く中断されてたのでもう書かれないのかと残念に思っておりました。

昨今話題の池上彰さん並みのわかりやすい論説を楽しみにしています。(^^;)
soup2001 | 2014/09/03 21:34 |
trackbacks
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>



目次&ランダムピックアップ

現代用語のクソ知識の目次

当ブログの目次(管理人のオススメ一覧)です。かなり古い時事問題に関する記事もありますが、当時を思い出してご覧いただけると幸いです。



↑上のボタンを押すと、ランダムにエントリを表示します。
もしもエラーページが出たら、ごめんなさいm(_ _)m「戻る」ボタンでエントリを表示するまでお試しください。

言い訳ページはこちら(^^;)

---------------------------------
---------------------------------






ウイルスバスター公式トレンドマイクロ・オンラインショップ


マウスコンピューター/G-Tune

 RSSリーダーで購読する

Profile
Archives
Recent entries
blog parts







マウスコンピューター/G-Tune

エニアグラム診断によると私はタイプ4番でした。
無料診断のできるサイトはこちらです。
Links
tools


悪徳商法マニアックス




簡単自動登録
無料でSEOならSEO.CUG.NET

大黒天
金運アップブログパーツ
Categories
AdSense







途上国の人々への支援をお考えの方にCARE支援プログラム

ドメイン取るならお名前.com

マウスコンピューター/G-Tune
Mobile
qrcode
Sponsored links
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
このblogのfeedburner