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帝国の功罪(2)【ていこくのこうざい(に)】

明治維新初期の産業と貿易

明治維新直後の日本の総人口は約3480万人。事実上鎖国状態だった江戸時代には貿易はゼロではないにせよ一般の国民がその恩恵をうけるほどの量はなく、対外貿易を許可された上層部の権力者(各地の大名)が主に利益を独占していた。

八幡製鉄所明治維新を経て開国し文明開化の波に晒されても日本が輸出できるものは生糸(絹)・茶などの農産物であり、輸入したものも綿糸・織物など日本で収穫・加工できない素材・衣料品であった。
下に挿入したグラフでは、貿易総額がまだ低いため輸入品などの構成比はかなり激変しているが化石燃料の輸入が激増するのは、大日本帝国が存在しない1950年代以降である。これはこの時代前後からエネルギーの主流が石炭から石油に転換し、中東地域での油田開発が活発化したからだ。

→官営八幡製鐵所(1900年撮影)
<画像元:明治日本の産業革命遺産>

それまでの日本は自国で生産できる石炭や鉱物資源で自給に近い生産サイクルを保てたのがわかる。しかし、欧米の産業革命に倣って取り入れた重化学工業の拡大、増えてくる人口を養うための食料も一部はやがて自給できなくなっていく。

工業の躍進とともに生糸から絹織物など加工品の輸出が増え、明治維新から約70年後の昭和初期には機械・機器及び部品の輸出が急増する。国家百年の計がようやく結実し結果を出しつつあった時期である。

図説のグラフに人口増加の線と歴史上の事柄を追記してみたのが下図だ。※各グラフはクリックで拡大


図録▽主要輸入品の長期推移
主要輸入品の長期推移-輸入総額に占める構成比の推移:社会実情データ図録
 江戸時代末期の開港までは日本の繊維産業は国内で完結していた。綿作−繰棉−綿糸−綿織物、養蚕−生糸−絹織物といったプロセスが農家の中、村の中、あるいは国内の産地間で分担して進められていた。開港後、こうしたプロセスが世界貿易に組み込まれ、国内は一部を分担することとなる。明治維新当時には生糸を輸出し、綿織物を輸入するようになっていた。輸出がはじまり生糸の価格高騰と原料不足により国内の絹織物産地は大きな苦境に立たされた。 また綿作から綿織物までの国内産地も綿織物や毛織物が輸入されて困難に陥ったところがあった(輸入綿布である金巾と競合した因伯木綿、紀州木綿、真岡木綿)。

図録▽主要輸出品の長期推移
主要輸出品の長期推移-輸出総額に占める構成比の推移:社会実情データ図録
 戦前を通して、長く輸出品1位の座を維持していたのは生糸であり、まさに製糸女工のおかげで機械設備や軍艦などを購入する外貨を獲得してきた。
 開港・明治維新ののち、しばらくは、生糸の他、茶、米、水産物、石炭といった1次産品が主要な輸出品であった。
 安政5(1859)年開港から幕末までの主要輸出品としては以下の表の通り生糸の割合が明治以降にまして高かった。これは既に国内機業地向けの製糸業が国内で発達していたからだった。開港以来、国内の生糸産出量は2倍となったと推定されるが、生糸輸出の急拡大により、原材料である生糸の価格高騰と原料不足によって、西陣、桐生、米沢など全国の絹織物業者が未曽有の苦況に陥ったといわれる。


リンク先の解説にもあるように、日本の主力輸出品である生糸の増産のため世界遺産にもなった「富岡製糸場」が作られ、その結果国内需要に対し供給不足になったため高嶺の花となり却って絹製品の加工産業には打撃となった。また、数は少ないものの国内で綿花を生産していた地域は輸入綿花による値崩れで同様に打撃を受ける。
日本初のグローバリゼーションである明治維新によって国内産業形態に大きな影響を与えたと言ってもいいだろう。

それでも生糸を輸出して外貨を稼いでは軍備や国内で不足する鉱物などの素材の購入に当てざるを得ず、女工哀史に代表される女性や労働者の犠牲によって日本の殖産興業が成長していくあたりは、日本というのは昔から「ブラック企業体質」なのかと少々苦々しい思いも禁じ得ない(^^;)

日本が外貨を稼ぐもう一つの輸出品としては「人身売買」があった。奴婢(ぬひ)と呼ばれ、平安時代までは商品と同様に売買された。末期には禁止されたが、生活苦からの口減らし、借財のカタに「年季奉公」として生活の一切を管理される就労形態はその後も近代まで続いていた。商品として輸出された私娼「からゆきさん」の存在は有名だが、このあたりの詳細は別の機会に検証するとして、日本の近代化の象徴とも言える明治維新だが、工業を見てみるとそれ以前から近代化の波は訪れていた。


小栗上野介幕臣小栗上野介は、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、日本人で初めて地球を一周して帰国した男だが、その際の見聞を活用し洋式軍隊を整備、横須賀製鉄所を建設するなど、日本での実務的に最初の近代化に着手した人物とも言える。

渡米の際、ワシントン海軍工廠を見学し製鉄・金属加工技術など当時の先端産業に触れ驚愕したことが帰国後の数々の近代化の着手につながった。このワシントン海軍工廠来訪時には記念に「ネジ」を持ち帰ったという。

この逸話は、第二次世界大戦後に自転車にエンジンを取り付けたバイク製造から勃興した本田技研工業の創始者本田宗一郎がバイクの世界的レースに挑戦すべくイギリス「マン島TTレース」の視察に行った際も当時の日本になかった「+(プラス)ネジ」を持って帰ったのに通じていて面白い。

洋行帰りとあって、外国との折衝や幕府財政の再建にも従事していたが、1863年には横須賀での製鉄所建設を幕府に承認され建設に取り掛かる。設備の殆どは幕府が懇意にしていたフランスからの輸入品であった。1865年(慶応元年)に完成し造船所に拡張する計画もあったが、幕府が明治維新(戊辰戦争など)で消滅したため明治新政府に接収され引き継がれる。後の横須賀海軍工廠である。

清輝1876年(明治9年)には早くも国産初の蒸気軍艦「清輝(せいき)」を竣工している。それまで初期の海軍は幕府からの接収艦や外国での建造艦(発注)で編成されていた。※画像クリックで拡大→

ペリーの黒船の蒸気軍艦からしばらくは内燃機関は石炭を燃やして蒸気機関を動かすいわゆるSL(蒸気機関車)と同じ原理で動いていた。その後蒸気でタービンを回す形式に変わるが、日露戦争(1904年:明治37年)当時は、ほとんどが旧型の蒸気レシプロエンジンだったと思われる。

小栗は製鉄・造船のみならず銃・大砲・弾薬などの兵器類の国産化も推進し結果的にはすべて明治新政府がその遺産を受け継ぐことになる。小栗上野介はこれらの軍事および財務面でも優秀な官僚として倒幕派も認めるところだったが、戊辰戦争の余波を受け幕府側の要人として斬首されたのは何とも惜しい話である。


明治新政府が真に英明な政権であれば、旧幕臣の中からも優秀な人材であれば積極的に登用すべきであったが、明治初期においてはまだまだ「報復的人事」が多く、旧幕臣の中で新政府において要職にありついたのは、最後まで抵抗していた榎本武揚という点も皮肉である。(投獄されるが新政府軍内部の助命工作もあり特赦の後、1874年:明治7年駐露特命全権公使に就任)

明治期には文明開化とともに勃興した財閥が数多くある。土佐藩出身の岩崎弥太郎を創業者に持つ三菱が代表格だが、巨大企業にのし上がったのは海運業を皮切りに造船・鉱業・鉄道・貿易など多岐にわたって事業を拡張していったことと無縁ではない。明治新政府に近い人脈を利用して最大限に成功した財閥と言えるが、独占的で同族世襲の経営が「独裁的」と批判を受けることも少なくなかった。

すでに江戸時代に豪商に成長していた三井財閥住友財閥はそれぞれ平安時代の藤原氏や桓武平氏をルーツに持つ名家であり、三菱とは敵対関係にあった。安田財閥は江戸末期に金融業から急成長した財閥だが、他の財閥と異なり経営の多角化が一番遅いものの豊富な金融資産を背景に急速に成長した。

これらの財閥は政治と深く絡みながら利益を得、それが政府の新しい事業を起こす際の原資ともなった。現代ならさしずめ「政・財・官」の癒着と騒がれスキャンダルになりそうな話だが、新しく国が興る時には必要な共同作業と言えるのかもしれない。

また、明治時代の産業界の発展に渋沢栄一の名は外せないだろう。

渋沢栄一:wiki
大正5年(1916年)に『論語と算盤』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた。 『論語と算盤』にはその理念が端的に次のように述べられている。
富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。

そして、道徳と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではないと言っている。また、同書の次の言葉には、栄一の経営哲学のエッセンスが込められている。
事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。

渋沢栄一渋沢栄一の思想は、ややもすると公平性を拡大視した左翼的なものにも見えるかもしれないが、明治時代はまだ産業の勃興期であり、市場の成熟も自由競争も政商などの台頭で阻害されかねない状況を考えればごく自然なものであったろう。寡占状況を嫌い、官の奢りを嫌った渋沢らしいプロディース哲学と言える。その辺りを見ると渋沢は日本の資本主義の父であると同時に、正当な市場原理・競争原理を育てた名コーチであり、企業間競争を根付かせたマッチ・メーカーとして手腕を発揮した人と言えるのではなかろうか。

何より武士階級の中でも貧しい家から身を起こした岩崎弥太郎が貪欲に事業を拡大し、渋沢栄一のような「公平性」「公共性」「倫理性」にはあまり配慮しなかった点は、企業のエゴイズムをある意味で象徴していたし、この時代において日本が幸運だと思えるのは、渋沢栄一のような「人格者」が日本の近代化・産業革命時に大きな影響力を持ったことであろう。

今STAP細胞関連で話題になってる理化学研究所も渋沢栄一による創立であるのを見ても、現代の企業群の大半は渋沢の影響を抜きには語れない。それでもこの日本の近代化が急速に進捗した時代、光に影がつきもののように闇の部分も内包されていた。


チッソ(日本窒素肥料):wiki
戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで知られる。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコー、日本ガスなどの母体企業でもある。
主な子会社・関連会社として、JNC、JNC石油化学(旧:チッソ石油化学)(事業所:千葉県市原市)、九州化学工業(工場:福岡県北九州市)、JNCファイバーズ(旧:チッソポリプロ繊維・事業所:滋賀県守山市)や、ポリプロピレン事業合弁会社の日本ポリプロなどがある。また、日本国内の合弁相手に吉野石膏や同社と同根である旭化成がある。

日本窒素肥料は野口遵の創立した企業の一つで、野口もまた渋沢のように数多くの企業の創立に関わった。

野口 遵野口遵:wiki
野口 遵(のぐち したがう、1873年7月26日 - 1944年1月15日)は、日本の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。
朝鮮半島進出後の野口遵は政商であった。朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、咸鏡南道興南(現・咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成した。さらに、日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出した。森矗昶、鮎川義介などと共に当時、「財界新人三羽烏」として並び称されていた。


後に水俣病を起こした原因企業だが、水俣病一つでこの企業の存在を否定するのは早計である。ここから別れて日窒コンツェルンを構成する企業群の成果を考えれば、現在の日本に至る全てを否定する事につながってしまうからである。

足尾鉱毒事件:wiki
足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)または足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山の公害事件。原因企業は古河鉱業(現在の古河機械金属)。
銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起するものの、精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っている。

足尾銅山
(中略)
足尾鉱毒事件に関しては、主に被害者側の視点での記述が多いが、中立性を確保するため、古河側の主張も併記する。ただし、古河側が直接、鉱毒に関して言及している例は非常に少ない。古河側の直接的な文献で、鉱毒に関する言及が多い文書には、古河鉱業刊『創業100年史』(1976年)がある。なお、古河鉱業は鉱毒という語を用いず、「鉱害」という語を用いている。
これによれば、1740年に既に渡良瀬川沿岸で鉱毒による免租願いが出されていることが当時の文献から確認でき、鉱毒は古河の経営になる前から存在したと主張している。また、当時は圧力があって文献では残っていないが、1821年に鉱毒被害があった、という研究も紹介している。
古河側の主張によれば、(第1次)鉱毒調査会による鉱毒防止令による工事と、大正時代までに行われた渡良瀬川の治水工事により、鉱毒は「一応の解決をみた」(『創業100年史』より)と述べている。この時代、待矢場両堰普通水利組合などが鉱毒に言及していたことについては記述がない。

明治時代に勃興した財閥の一つである古河財閥の根幹企業である古河鉱業による日本の近代史上最初の公害と言える足尾銅山鉱毒事件だが、それ以前からも鉱毒の存在は知られていたり企業だけの責任を問うよりも、国民の生命・厚生面よりも経済発展を優先していた当時の国情を反映していると言えなくもない。

現代においては、福島第一原発の東日本大震災の影響での事故は、「原発推進」「国産エネルギーの確保」という官庁主導の産業施設が及ぼした被害構造としては似ているような気もする。被害の因果関係や最悪の状況がそれなりに想起しうる時点で最適かつ最良の対策を講じず、結果として甚大な被害を後世にわたって残すことになったからである。

豊かさや利便性を大多数の国民が享受する時、そこには必ず犠牲となった人々がいる。過去においてはそれらの人々は十分には救済されず、解決は遅れに遅れた。現代でもその構図は全く変わっていないように感じるわけだが、ただひとつ状況として異なるのは、被害者救済がいつの時代でも試みられてはいるものの、現代においては被害者救済よりも優先して「被害を生み出した企業や官庁への攻撃」が行われ、それが「反社会的利権」と結びついている実態がある。

巨額の倍賞費用が見積もられ、その結果、柏崎刈羽原発の再稼働が必要になる:座間宮ガレイのキラーメルマガ!
仙谷由人の著書「エネルギー・原子力大転換 電力会社、官僚、反原発派との交渉秘録」にも、それが現れている。政治家は、原発の被害者賠償についてどのように考えているんだろうか。それは一般人の生理とどのようにズレているのか。

『例えば交通事故の場合、誤解を恐れずに賠償する立場でいうと、被害者が亡くなった事案のほうが負担は小さい。ご遺族に大変心苦しいが、慰謝料を支払い、一定の保証レートに基づき、まとまった金銭の償いをすれば一応話は終わる。
しかし、重大な心身障害が残った場合、治療代・介護費用のほか、多くの逸失利益の補償が延々と続く。生活を破壊された被害者の存在賠償、とりわけ、大量被害者の事件処理は困難なのだ。

私は法務大臣を兼務していた官房長官時代、和解金総額が最大3兆2000億円となったB型肝炎集団訴訟の和解協議にも当たっていたので、「この問題はこじらせてはいけない」と考えていた。

おそらく賠償額は1世帯あたり1億円をくだらないだろう。10万世帯ならばざっくり10兆円、というのが当時の私の直感だった』(P87、88)


この箇所は、福島原発事故の賠償金額の見積もりをする時を振り返って、仙谷が記した箇所だ。命を試算し、その賠償金額を税金で賄うというのが政治家の仕事だということだ。そういう心理で、そろばんを弾いているわけだ。

前回のメルマガでも書いたが、倍賞費用が大きくなると試算することで、柏崎刈羽原発の再稼働をはやめようという方針にもつながってくるわけだ。

※管理人により改行位置を変更しています。


被害者救済にかこつけた「ゆすり」「たかり」レベルの賠償金訴訟ビジネスが左翼(市民派・人権派)勢力によって運営されれば、企業側の倍賞ビジネスもまた存在する。どうも両者の綱引きが水面下で起こり着地点を探る途中で様々な情報戦が展開されるようにも見えるのだが、これでは誰が何をしようとも被害を受けた人々の救済はひたすら遅れてしまう。
被害に遭うことがなければ正に「運の良い人生」と呼べることになるが、これだけ科学や文明が進化した(とされる)現代でも人々を純粋に助ける術が進化しないのは何故だろう。これもまた近代化という産業革命のもたらした宿命なのだろうか。

福島第一原発先ごろ朝日新聞が「誤報」として謝罪した福島第一原発の故吉田所長による「吉田調書」の捏造疑惑に代表される「巨大企業=巨悪」にすり替えられ、過剰な営利主義が呼んだ捏造が誤報として受け入れざるをえないのなら、この件(情報産業である朝日新聞の不祥事)をも含めて遠く明治時代の産業勃興期にすでに「企業倫理観の鈍感さまたは希薄さ」という点で内包されていたのかもしれない。

歴史に「if」は禁物というが、政界や財界、言論界にもう数人の「渋沢栄一的公平性を重視した哲学・倫理観」の持ち主が関わっていたら、日本の未来は変わっていたのだろうか?


<関連記事>
●第一期
帝国の功罪(1)【ていこくのこうざい(いち)】大日本帝国の成立と発展
帝国の功罪(2)【ていこくのこうざい(に)】明治維新初期の産業と貿易
帝国の功罪(3)【ていこくのこうざい(さん)】江戸〜明治時代の教育レベル
帝国の功罪(4)【ていこくのこうざい(よん)】国民病「脚気」と「結核」
帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】北海道の光と影〜先住民族アイヌ
帝国の功罪(6)【ていこくのこうざい(ろく)】北海道開拓使の時代
帝国の功罪(7)【ていこくのこうざい(なな)】沖縄県民の歴史と感情
帝国の功罪(8)【ていこくのこうざい(はち)】廃仏毀釈と士族の冷遇
帝国の功罪(9)【ていこくのこうざい(きゅう)】売春婦と人身売買
帝国の功罪(10)【ていこくのこうざい(じゅう)】職業売春婦と慰安婦
帝国の功罪(11)【ていこくのこうざい(じゅういち)】日本軍の慰安所と慰安婦

●第二期
帝国の功罪(12)【ていこくのこうざい(じゅうに)】明治維新以前のアジア情勢と日本の安全保障
帝国の功罪(13)【ていこくのこうざい(じゅうさん)】明治維新の黒幕たち
帝国の功罪(14)【ていこくのこうざい(じゅうよん)】明治新政府の統治能力と藩閥
帝国の功罪(15)【ていこくのこうざい(じゅうご)】大日本帝国憲法と帝国議会の構成
帝国の功罪(16)【ていこくのこうざい(じゅうろく)】大日本帝国憲法の本性
帝国の功罪(17)【ていこくのこうざい(じゅうなな)】「天皇」の冤罪
帝国の功罪(18)【ていこくのこうざい(じゅうはち)】日本軍の黎明
帝国の功罪(19)【ていこくのこうざい(じゅうきゅう)】日本海軍と軍内部の抗争

●第三期
帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】明治時代に勃興した財閥と軍事産業
帝国の功罪(21)【ていこくのこうざい(にじゅういち)】侵略という思想
帝国の功罪(22)【ていこくのこうざい(にじゅうに)】自由民権運動の変節

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