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帝国の功罪(3)【ていこくのこうざい(さん)】

江戸〜明治時代の教育レベル

明治維新というのは基本的に「支配階級から起こった革命」「国体を変化させるクーデター」とも言うべきもので、士農工商と呼ばれる身分制度の中、武士以外の一般庶民のほとんどは、彼らほどの国家的な問題意識もなければ対外的な危機感も持ちあわせておらず、従順に「お上」からの布告に従って生活様式を変化させたに過ぎない。

江戸時代の教育といえば英才教育がされていた武士階級以外では「読み書き算盤」が中心で、生活に支障をきたさない程度に「文字が読め」「言伝(ことづて)の手紙程度は書き」「算盤で最低限の計算能力」を修得することで、むやみに感情に踊らされず「打算」「理性(慎重さ)」を保持し、あるいは「宗教的な倫理観」などは現代よりは強く身につけていたと思われる。また江戸の庶民には「草紙」と呼ばれる読本(よみほん)が売られ、流行作家や人気絵師(イラストレーター)も評判を取るなど文化的素養は高かった。

ドクター月尾・地球の方程式 第283週「改めて考える読み書き」:TBS
江戸時代、簡単な読み書きに限って言えば、江戸の識字率は70%を超えていたと言われています。一方で同時期のロンドンの識字率は20%、パリの識字率は10%未満ですから、江戸の識字率の高さが分かります。その背景となったのが、教育機関の普及でした。
特に庶民のために開かれた寺子屋は、今の識字率の高さを支えていると言えます。

地域別識字率
江戸時代の教育施設

トロイの遺跡を発見したドイツ人考古学者のシュリーマンも江戸時代末期、14代将軍:徳川家茂の時代に日本を訪れ、その文化レベルの高さに驚いた一人だ。
その著書「シュリーマン旅行記 清国・日本」の中で、明治10(1877)年から13(1880)年まで東京大学で生物学を教えたエドワード・S・モース(大森貝塚の発見者)の話として、

 外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は、日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くべきことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善悪や品性を、日本人は生まれながらにして持っているらしいことである。

 衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。

シュリーマン旅行記 清国・日本

とまで言わしめている。我々日本人の精神文化の源流は間違いなく天下泰平の江戸時代に醸成され、現在に続く確固たる倫理観・美意識を育んでいた。

アジア、いや当時でも世界的に特筆すべきその教育レベルは、案外日本人も知らない場合が少なくない。文明開化というからには西欧のほうが全てにおいて文化的で理性的、民度も高いであろうと言うのは「西欧コンプレックス」以外の何物でもない。本来日本人は好奇心が強い民族であり、勉学の意欲が高かった。新しいものが好きで「良い」と思ったものは何でも取り入れてあっという間に自分たちの生活様式になじませて改良し、オリジナルなモノまで生み出す。現在の技術大国の根っこは古来からの日本人の習性が大きく影響したと考えるのが自然であり、絶対的支配階級の「武士」が行った民間教育が如何に「文化・民度の向上」に貢献していたか計り知れない。

寺子屋
<画像元:日本の初等教育:寺子屋から小学校へ〜ξ  Joseph murmured  ε>
この絵を見る限り、各自勝手なことをやっていて必ずしもお行儀のいいガキ子供ばかりではなかったようだが(^^;)・・・まぁ、それは今でも変わりないか(爆)

ただ、なぜここまで日本人の教育レベルが高度だったのか。また庶民・農民にまで一般的な教育が行われたのか少々不思議な気もするが、戦国の世から天下泰平の世に移り、荒々しく野蛮な「力の支配」から穏やかで理性的な「知の支配」、「力ではなく徳の高いものが社会を収める」文治政治の普及により、全国の諸藩で朱子学を中心とした学問熱が高まった事が大きいようだ。

現代における高校卒業は当たり前、大学進学が珍しくなくなっていったように、江戸時代にも学問で他に秀でることが出世の近道であり、武士階級の「キャリア官僚化」とも言うべき知の集積が行われたというところか。

上層部の流行は時を経ず下層の人々にも伝わっていく。公家の言葉遊びだった和歌や茶の湯が庶民レベルに降りてきて、それぞれが独自の文化として花開いたようにそれら文化の素養や教育は「何やら新しくて面白いもの」であり、娯楽の少ない昔なら「学問」すらが娯楽たり得たかもしれない。なぜならどちらも「生活に余裕があればこその嗜み」だからである。

そうした武家出身の子女や野に下った浪人、あるいは学者となって研究者の人生を歩く者達がその豊富な知識を切り売りして生計を立てるケースが出てくる。あるいは寺院の僧など人望を集めた人物などが奉仕として学問を人々に教える仕組みができた。寺子屋と称される民間の学問所で、「手習い」と言う名の「読み書き算盤」教育を始め基本的な倫理教育も施されたわけで、全ては戦乱のない安定して平和な長い期間が存在したことが日本にとっては非常に幸運なことだったわけである。

和算 …江戸時代の数学…:水のほとり
江戸時代の文化の特徴は何でしょう? あの時代の日本文化の特徴は, 人々が 数学を趣味として楽しんでいたことです. 文化の歴史のなかで, 世界にまれな, きわだった特徴だと思います. 日本民族の世界に誇れる歴史です. 鎖国していた江戸時代には, 西洋の影響をほとんど受けずに 日本固有の数学が発達しました. そして, 当時の日本の数学は実用であるとともに道楽でもありました. それが和算です.

庶民から殿様まで, あらゆる階層の人々が数学に親しんでいました. 数学の問題や答を額にして絵馬のように奉納する「算額」の習慣がありました.

道楽であるとともに, 田を作り水を引く土木工事や 天体を観測して暦を決める暦法, そして商業にも役立って, 世の中をゆたかにしてきました. いまの私たちも いろいろな意味で和算の恩恵を受けています.

神社に奉納された算額
<画像元:田代神社奉納算額〜養老町(岐阜県養老郡)の歴史文化資源)>

趣味と実用を兼ね備えた知的ゲームを楽しむ庶民。世界が戦争や民族同士の闘いに血道を上げている間に、まるで山にこもって修行を繰り返した僧侶のように、独自の学問を追求し成熟させていったイメージが近いだろうか。

もちろん産業革命がイギリスで発生して以降は、日本は文明の進歩から取り残されてしまうわけだが、基礎レベルおよび国民の総合レベルでははるかに西欧を凌ぐ実力を秘めていたわけである。

だからこそ、日本を訪れた西欧列強の人々は少なからず驚き、地の果てにあった見知らぬ国の西洋文化と異なる流れを持つ文化に感銘をうけたのだろう。当時の中国(清國)や他の国々にも決して見られない民族の精神性があればこそ、明治維新前後の混乱期でも日本が欧米列強の侵略を防ぎ得た最大の理由ではないかと思うのである。

それが証拠にもう一つ、面白いコメントを引用しておこう。以下には反日が色濃く根付いてしまった韓国人の本音が現れている。

我々韓国人が日本を理解できない大きな理由の一つは、江戸時代から明治にかけての歴史を知らないことです。(中略)日本が江戸幕末までに、相当の経済、技術、教育、文化水準に達していたことを知りません。豊かな庶民文化も、産業交通の発達も知りません。日本は19世紀後半に、西洋のまねをして運よく近代化し、韓国を侵略した。韓国は運悪く、狡猾な日本にやられた、と韓国人は思いたいのです。
道上尚史著『日本外交官、韓国奮闘記』文春新書 P86

韓国で外交官をやっていた人物の日韓文化比較論(というかレポート)だが、上記の言葉は韓国を代表する新聞社の論説委員の言である。日本の近代化の成功の理由を知らない(教えない)韓国人が、西欧人たちのようにそれを尊重することがないのも頷けるではないか(^^;)実際に「リアルな日本と近代史」を学んだものなら、韓国が主張する「悪逆非道な日本」「日本こそが諸悪の根源」のその多くが無知の産物であることを理解しているからである。

ところが、日本人自身もしっかりとこの特異性を認識してはいない。太古の昔中国から新しい文化や技術はやってきた。それと同様に文明開化は欧米からやってきた。だから「外国(西欧列強)のものは皆、日本のものよりはレベルが高い」と言う舶来コンプレックスが、後の大東亜戦争の敗戦も相まって長く続いたように思うのである。

それは戦後の「自虐史観」にも利用され、近代化以降〜戦前の日本の過小評価につながっているとも言えるのだ。

上述のように江戸時代から元々素養の高い国民が、明治維新で政府の直接的援助によって均一で高レベルな教育を受ける環境が整うと伸びるのもまた早いことは容易に想像できる。

明治6年(1873年)にフランスに倣って「学制」を定めた後に小学校が義務化され、明治22年(1889年)には大日本帝国憲法が発布され、近代国家としての格好がようやく整う。翌明治23年(1890年)には帝国議会も招集され、政府の主導に民意が加味される立憲君主制が確立する。
この憲法の中で第9条に法律の執行、公共の安寧秩序の保持、臣民の幸福の増進のために必要な命令を発することを天皇の大権事項として定めていたことから、その一環として教育に関する法令を「勅令」によって定めるのが定例となり、明治23年(1890年)に明治天皇によって教育に関する勅語が下賜(かし)される。現代では「軍国主義に繋がる思想教育の象徴」にも言われることの多い「教育勅語」である。

教育ニ関スル勅語:wiki
「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)は、1890年(明治23年)10月30日、宮中において、明治天皇が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対して与えた勅語である。翌日付の官報などで公表された。その趣旨は、明治維新以後の大日本帝国で、修身・道徳教育の根本規範と捉えられた。また、外地(植民地)で施行された朝鮮教育令(明治44年勅令第229号)、台湾教育令(大正8年勅令第1号)では、教育全般の規範ともされた。
さらに、紀元節(2月11日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(11月3日)および1月1日(元日、四方節)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校で儀式が行われ、全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げ、その写しは御真影(天皇・皇后の写真)とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われた。
しかし、1945年(昭和20年)に第二次世界大戦の敗北によってGHQの占領下に入ると、1946年(昭和21年)には、「勅語及び詔書等の取扱いについて」(昭和21年10月8日文部事務次官通牒)と題する通達により、教育勅語を教育の根本規範とみなすことをやめ、国民学校令施行規則も改正して、四大節の儀式で教育勅語を読み上げることも廃止された(昭和21年10月9日文部省令第31号)。


以下原文と現代語訳は教育勅語:雑学資料室からの引用である。

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
  御名御璽

教育勅語
<画像元:はげしく学び はげしく遊ぶ−石川康宏研究室>

参考:現代口語訳
 私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。

 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。

 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

明治二十三年十月三十日
(天皇陛下の署名と印)


「皇祖起源の伝統を重んじる」が天皇を神格化し、「皇国の繁栄に尽くせ」と言うあたりが軍国主義に繋がるという点は、この時代の思想的な部分が現れていると思うが、それ以外は本来「道徳として普遍的なことを言っている」だけである。「憲法を重んじ」というのは、現代では別の意味でやたら「護ろう」とはしているのだが・・・(^^;)

ただ、現代にこの時代の教育勅語を復活させても意味は無い。現代の天皇は国民に影響を与える「思想的・政治的発言」はできないので、一般論あるいは平均的価値観・個人的希望の発露として言及するだけである。

いや、むしろ日本人の象徴たる天皇であればこそ、「日本人としてあるべき理想像の個人的希望を述べる」談話が存在してもいいような気もする。

少なくともツマラン政治家の不完全で奇妙な談話よりは余程日本人には良い影響を与えるだろう。(爆)

<関連記事>
●第一期
帝国の功罪(1)【ていこくのこうざい(いち)】大日本帝国の成立と発展
帝国の功罪(2)【ていこくのこうざい(に)】明治維新初期の産業と貿易
帝国の功罪(3)【ていこくのこうざい(さん)】江戸〜明治時代の教育レベル
帝国の功罪(4)【ていこくのこうざい(よん)】国民病「脚気」と「結核」
帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】北海道の光と影〜先住民族アイヌ
帝国の功罪(6)【ていこくのこうざい(ろく)】北海道開拓使の時代
帝国の功罪(7)【ていこくのこうざい(なな)】沖縄県民の歴史と感情
帝国の功罪(8)【ていこくのこうざい(はち)】廃仏毀釈と士族の冷遇
帝国の功罪(9)【ていこくのこうざい(きゅう)】売春婦と人身売買
帝国の功罪(10)【ていこくのこうざい(じゅう)】職業売春婦と慰安婦
帝国の功罪(11)【ていこくのこうざい(じゅういち)】日本軍の慰安所と慰安婦

●第二期
帝国の功罪(12)【ていこくのこうざい(じゅうに)】明治維新以前のアジア情勢と日本の安全保障
帝国の功罪(13)【ていこくのこうざい(じゅうさん)】明治維新の黒幕たち
帝国の功罪(14)【ていこくのこうざい(じゅうよん)】明治新政府の統治能力と藩閥
帝国の功罪(15)【ていこくのこうざい(じゅうご)】大日本帝国憲法と帝国議会の構成
帝国の功罪(16)【ていこくのこうざい(じゅうろく)】大日本帝国憲法の本性
帝国の功罪(17)【ていこくのこうざい(じゅうなな)】「天皇」の冤罪
帝国の功罪(18)【ていこくのこうざい(じゅうはち)】日本軍の黎明
帝国の功罪(19)【ていこくのこうざい(じゅうきゅう)】日本海軍と軍内部の抗争

●第三期
帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】明治時代に勃興した財閥と軍事産業
帝国の功罪(21)【ていこくのこうざい(にじゅういち)】侵略という思想
帝国の功罪(22)【ていこくのこうざい(にじゅうに)】自由民権運動の変節

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