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帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】

今回から数回、江戸後期〜明治初期にかけて最後に日本になった2つの地域、北海道と沖縄を検証してみることにする。

北海道の光と影〜先住民族アイヌ

五畿七道明治以前、この地に最も近い首都を持つ国である日本の一部でありながら日本の統治が完全には及ばない地域があった。当時蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道である。そもそも沖縄と同様、古代に呼称された五畿七道と呼ばれた行政区画に北海道は入っていないことからもわかる。図にあるように東山道と呼ばれた中部地方と東北地方の圏外に位置する蝦夷地は、首都から遠いことも有り、時の権力者にとってはどうでも良い地域だったとも思われる。

そして蝦夷地には、樺太、千島を始め、ロシア領内にも共通する種族、先住民のアイヌ族がいくつかの部族に分かれそれぞれが集落を形成していた。

アイヌ:wiki
アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびロシア・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族である。母語はアイヌ語。19世紀に列強の国々が領土拡張するにあたり、多くの先住民族が当該国に編入されたが、アイヌも同様の運命をたどった。現在、日本とロシアに居住する。

アイヌ


しかし社会体制が確立し、食料需給が安定すると人口が増え食料が不足する。おのずと生活圏の拡大を図るが、諸部族が同様に自分たちの優先的生活圏を拡大しようとすると必然的に争いが起きる。主権領域の争い、その領域内の収穫物の争い、生活資源と食料の奪い合いとなり、アイヌ部族同士が争ったこともある。この図式は古代から現代に至っても何も変わらない。生活資源と食料の争奪戦は殆どの場合戦争になっている。現代においても産業資源や食料はもはや戦略物資となっており、その確保のために各国は血眼になって世界中をあさっているわけだ。

日本人(和人)との接触は古くからあり、アイヌ部族との戦いも起こっているが、まず気をつけねばならないのは各時代の中央政権がこの北の地を正確に把握していないことにある。その理由は正確な地図の不在や交流・情報の少なさがすべてであろうが、あまりにも辺境にあったためそれらを改善する意味も理由もなかったのが大きいと思われる。

しかし古代においてはアイヌ族もしくはその関連部族が関東〜東北地方一体にも居住していた可能性があり、総じて蝦夷(えみし、えびす、えぞ)と呼ばれて辺境の異端種族として中央政権に追われるように生活圏が北上していった可能性がある。つまり日本の先住民である縄文日本人の血統を残す民族だったかもしれないのだ。

いずれにしても海洋系または大陸系・半島系の渡来人たちとの混血によって日本人のルーツが形成されていく過程において、彼ら日本人は辺境に押しやられていった可能性は否定出来ない。また同時に縄文人と弥生人との入れ替わり時点でその文化性や慣習の違いで民族間抗争などが頻発し、はからずも民族移動が起こったのかもしれないが・・・この辺りは、稲作の伝来ルート等と併せて確立された定説が存在しない。ただ、アイヌ族のDNAの特徴が現在の日本人(本州人:和人)よりも沖縄人に近いと言う説がある点でも、アイヌは日本人が太古に行った侵攻あるいは民族(人種)的同化に影響されて北端へ追いやられた種族であると思われるのである。

近年の遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球人の次に和人で、アイヌ人個体の3分の1以上に和人との遺伝子交流が認められた。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本人(アイヌ人、琉球人、和人)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。アイヌ人集団にはニヴフなど和人以外の集団との遺伝子交流も認められ、これら複数の交流がアイヌ人集団の遺伝的特異性をもたらしたとされる。

縄文人と弥生人
<画像元:successのブログ「【遺伝子解析】 アイヌと琉球が遺伝的に最も近縁−縄文型」>

この地が不毛の大地であることこそが古来の原日本人の末裔を温存し、ロシア・ツングース系の交流と合わせて独特の文化を持った民族を生み出した最大要因だったと思えるのである。

稲作文化も北端のこの地には伝わっていただろうが、寒冷地のため明治以降でなければ本格的な農作(米作)も行われず、漁・狩猟と野草の採取など、縄文時代の生活スタイルが長く続いたことが、米の収穫が収入に直結していた古代からの日本の価値観において、米作ができない不毛の大地に対する関心が高くなかったことは容易に想像できるし、生活のすべてが厳しい自然環境との戦いである北の蝦夷地であることに加え、津軽海峡で海に隔絶されたことが本州の支配権力が及びにくかったことがあげられる。

そのため日本人(和人)との争いも主に当地の領有もしくは交易権を認められた代官・領主との争いで、アイヌが国家ではない部族社会であるため、地方行政官である支配・管理者による争いは戦争というよりは地域紛争の規模であったと思われる。しかし当時のアイヌ人口がかなり多かったのか、日本側の記録に残されるほどの大きな衝突も有史以来かなりの数で起こっている。

蝦夷征討:wiki
蝦夷征討(えみしせいとう)とは、日本の古代において蝦夷に対して朝廷が行った征討である。中央史観の強かった時代には蝦夷征伐と呼ばれた。
(中略)
年表
景行天皇40年 : 蝦夷の謀反、日本武尊が征討(伝説)。
仁徳天皇55年 : 蝦夷の反乱、上毛野田道が派遣されるが伊峙水門で敗死(伝説)。

敏達天皇10年(581年) : 蝦夷の寇。
舒明天皇9年(637年) : 蝦夷反乱し入朝せず、上毛野形名が妻の活躍により征討に成功。
大化3年(647年) : 渟足柵設置。
大化4年(648年) : 磐舟柵設置。
斉明天皇4年(658年) : 阿倍比羅夫が遠征し、降伏した蝦夷の恩荷を渟代・津軽二郡の郡領に定め、有馬浜で渡島の蝦夷を饗応する。
斉明天皇5年(659年) : 阿倍比羅夫蝦夷を討ち、一つの場所に飽田・渟代二郡の蝦夷241人とその虜31人、津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振鉏(いぶりさえ)の蝦夷20人を集めて饗応し禄を与える。後方羊蹄に郡領を置く。粛慎と戦って帰り、虜49人を献じる。
斉明天皇6年(660年) : 阿倍比羅夫は、大河のほとりで粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められ、粛慎を幣賄弁島まで追って彼らと戦い、これを破る。同年、比羅夫は夷50人余りを献じる。
和銅元年(708年)頃 : 出羽柵設置。
和銅2年(709年) : 蝦夷が良民を害し、巨勢麻呂、佐伯石湯、紀諸人らが征討に出発。諸国の兵器を出羽国に送る。
和銅5年(712年) : 出羽国設置
養老4年(720年) : 陸奥国の蝦夷の反乱、按察使上毛野広人殺害。多治比県守征討。
神亀元年(724年) : 海道の蝦夷の反乱、陸奥大掾佐伯児屋麻呂殺害。小野牛養、出羽の蝦夷を征討。大野東人が多賀城築城
天平5年(733年) : 秋田城(出羽柵を移動)設置。
天平9年(737年) : 牡鹿柵設置。
天平宝字3年(759年) : 雄勝城・桃生城築城。
神護景雲元年(767年) : 伊治城築城。

宝亀元年(770年) : 蝦夷の宇漢迷公宇屈波宇賊地に逃げ帰り、道嶋嶋足ら派遣。
宝亀5年(774年) : 紀広純、大伴駿河麻呂派遣、桃生城に侵攻した蝦夷を征討(〜宝亀6年)。(三十八年戦争の開始)
宝亀7年(776年) : 陸奥国、蝦夷征討。志波村の蝦夷反逆、佐伯久良麻呂投入、胆沢地方の蝦夷征討。
宝亀8年(777年) : 出羽において戦闘継続、出羽国軍蝦夷に敗れるも翌年までには一旦反乱収束。

宝亀11年(780年) : 陸奥国長岡郡に蝦夷侵入。覚鱉城(かくべつじょう)築城。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)勃発、牡鹿郡大領道嶋大楯、紀広純殺害。多賀城炎上。藤原継縄、大伴益立、紀古佐美、大伴真綱、安倍家麻呂ら投入。百済王俊哲投入。出羽国府後退とする説あり。
天応元年(781年) : 藤原小黒麻呂投入。戦果を挙げ征夷軍一旦解散。

延暦8年(789年) : 紀古佐美、佐伯葛城らによる蝦夷征討。大規模な対蝦夷軍事行動はじまる。巣伏の戦いで征夷軍大敗。巨勢野足投入。
延暦10年(791年) : 文屋大原、大伴弟麻呂、百済王俊哲、多治比浜成、坂上田村麻呂投入。
延暦13年(794年) : 征夷副将軍坂上田村麻呂による蝦夷征伐。
延暦16年(797年) : 坂上田村麻呂、征夷大将軍に任官。
延暦20年(801年) : 坂上田村麻呂、閉伊村まで平定。
延暦21年(802年) : アテルイ、モレら降伏、処刑。胆沢城築城。
延暦22年(803年) : 紫波城築城。
延暦24年(805年) : 藤原緒嗣、蝦夷征討と平安京造営の中止を奏上。
弘仁2年(811年) : 幣伊村征討。和賀郡、稗貫郡、斯波郡設置。文屋綿麻呂蝦夷征伐終了を奏上。

貞観11年(869年) : 貞観地震
元慶2年(878年) : 出羽の夷俘反乱(元慶の乱)
天慶2年(939年) : 出羽の俘囚反乱(天慶の乱)
永承6年(1051年)-康平5年(1062年) : 安倍氏征討(前九年の役)。
延久2年(1070年) : 延久蝦夷合戦
永保3年(1083年)-寛治元年(1087年) : 清原氏征討(後三年の役)。
康和6年(1104年)-永久元年(1113年)頃 : 藤原基頼が「出羽常陸并北国凶賊」を討つ。
文治5年(1189年) : 奥州藤原氏征討。(奥州合戦)
文永5年(1268年) : 津軽の蝦夷反乱。安藤氏討たれる。
元応2年(1320年)-嘉暦3年(1328年) : 安藤氏の乱(蝦夷大乱)。

このおびただしい紛争の跡を見ると、辺境の種族、蝦夷の民(ほとんどがアイヌ系と思われる)による蜂起、内戦が数年〜数十年に一度起こっていたことがわかる。如何に先住民と新興の和人たちが紛争を繰り返しながらアイヌ族たちを追い詰めていったか・・・。まるでアメリカ大陸でインディアンたちを蹂躙していくヨーロッパ人たちのようではないか(^^;)

ただ、これほど頻発した辺境における内乱が日本史の中でも目立たないのは、やはり中央政権に与える影響が殆どなかった点が大きいかもしれない。「文治5年(1189年) : 奥州藤原氏征討。(奥州合戦)」とは当初匿っていた源義経を討ちとった藤原泰衡を鎌倉幕府に対する反乱勢力として討伐した戦いである。「前九年・後三年の役」とともに日本史に比較的詳しくない人でもわかる歴史がこの2つぐらいしかない事でもわかるように、多くは政権運営に支障の出る反乱勢力でなければ歴史の表舞台には出てこない。アイヌが部族社会であり、勢力を統一して日本の王権(政権)を脅かすことがなかったために歴史に埋もれたと思われる。

その意味では元々琉球王国という他国だった沖縄は別にしても、この北の辺境には支配の徹底をするだけのために武力抗争が行われ、アイヌ族たちを圧迫していったようにも見える。

コシャマインの戦い:wiki
応仁の乱のちょうど10年前の1457年(康正3年、長禄元年)に起きた和人に対するアイヌの武装蜂起。現在の北海道函館市にあたる志濃里(志苔、志海苔、志法)の和人鍛冶屋と客であるアイヌの男性の間に起きた口論をきっかけに、渡島半島東部の首領コシャマイン(胡奢魔犬、コサマイヌとも呼ばれる)を中心とするアイヌが蜂起、和人を大いに苦しめたが最終的には平定され、松前藩形成の元となった。

シャクシャイン像シャクシャインの戦い:wiki
1669年6月にシブチャリ(現北海道日高振興局新ひだか町の静内地区)の首長シャクシャインを中心として起きた、松前藩に対するアイヌ民族の大規模な蜂起である。

シャクシャイン像<画像元:明治以前の北海道 ―明治の礎・北海道開拓 ―水土の礎>

クナシリ・メナシの戦い:wiki
1789年(寛政元年)に東蝦夷地(北海道東部、道東)で起きたアイヌと和人の衝突。事件当時は「寛政蝦夷蜂起」と呼ばれた。


室町時代の頃には和人に対するアイヌ族の反乱という記述が出てくるが、和人たちが彼らを蝦夷という曖昧な呼称でなく民族(種族)名を使っている点で「異国の文化を持つ民族」としてようやく認知した証拠かもしれない。

アイヌの歴史:wiki
年表(抜粋)
1604年 - 松前慶広、江戸幕府からアイヌとの交易独占を認められる。以後、和人(本州)との交易窓口が一本化されて必需品輸入の生命線を握られたため、アイヌの松前藩への従属が強まり、不平等な交易によるアイヌの不満が、和人に対するアイヌ蜂起の一因ともなった。

1786年 - 最上徳内択捉島と得撫島を探検。幕吏として最初に択捉島・得撫島を探検した徳内は、このときロシア人が居住していること、択捉島現地人の中にキリスト教を信仰する者がいる事を確認している。

1800年 - 伊能忠敬が蝦夷を測量。

1807年 - ニコライ・レザノフの部下、ニコライ・フヴォストフ(ロシア語版)らが択捉島や樺太に上陸、略奪や放火などを行う(フヴォストフ事件:文化露寇)。幕府は東北諸藩の兵で警固を強化。西蝦夷地(北海道日本海岸・オホーツク海岸・樺太)も公議御料(幕府直轄領)とし、樺太アイヌを含む全蝦夷地のアイヌ人の宗門人別改帳が作成されるようになる。箱館奉行を松前に移し松前奉行を置く。アイヌに対する和風化政策がおこなわれる。

1809年、間宮林蔵が樺太が島であることを確認し、それまで属した西蝦夷地から北蝦夷地として分立する。また、山丹貿易を幕府公認とし、アイヌを事実上日本人として扱った。

1821年 - 日露関係の緩和を受け、幕府は蝦夷地を松前藩に返還する。このころ以後、蝦夷地への和人移住が増加し、アイヌの生活・文化の破壊が顕著となる。

1854年 - 日露和親条約締結、北海道が日本領、得撫島以北の千島列島がロシア領に決まる。ただし、樺太方面の国境はこれまでどおり未確定とすると決められた。

1867年 - 日露間樺太島仮規則調印。樺太全域が日露雑居とされる。


独自の生活様式・言語を持ったアイヌ族だったが、何故か文字を持とうとしなかった。すべて口述と実技指導による伝承で民族の文化を保ってきたことはある意味で驚きでもあるが、ロシアや日本などの近隣の強大な力による支配に対抗できるはずもなく、それぞれの文化圏に取り込まれ、同化されていく。

西欧列強の帝国主義にさらされた幕末から明治初期、アジアの大半の国は列強に飲み込まれアイヌも例外ではなかったわけである。かろうじて幕末に日本が北海道の地を日本領として確保したのは、その多くが現地住民(アイヌ)の存在によるものであることは間違いないが、その代償に彼らが得たものは極めて不利なものだったに違いない。

今アイヌの子孫たちは現存するものの、アイヌ語の話者は極めて少なく、ユネスコによって2009年2月に「極めて深刻」な消滅の危機にあると分類された。支配者の都合で民族的多様性を消されつつある彼ら少数民族。明治維新と大日本帝国は、彼らの大地・北海道をどう開拓していったのだろうか。

アイヌ語
↑※歴史的にアイヌ語が使用されたと考えられている範囲

次回は明治維新以降の北海道開拓時代について検証を試みる予定である。

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帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】明治時代に勃興した財閥と軍事産業
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帝国の功罪(22)【ていこくのこうざい(にじゅうに)】自由民権運動の変節

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