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帝国の功罪(12)【ていこくのこうざい(じゅうに)】

約1年の充電期間を経て、本エントリから再び「大日本帝国」の成り立ちから現代に至る歴史検証の旅を再開したいと思う。例によって近現代史とは言え、あまりに壮大なスケールになると思われるのでこの再開がそのまま完結に至ることはなく(^^;)ある程度の区切りを持ってまた充電期間へ入ることをお断りしておく。

明治維新以前のアジア情勢と日本の安全保障

明治維新をドラマなどで見る限り、欧米列強のアジア侵略に日本の自主独立を保つ上で「国家体制としての不完全さ」に危機感を持った一部士族(薩摩・長州など)が、新政府樹立のための内乱を起こしたと言える。アジアにまで触手を伸ばしてきた帝国主義の魔の手に対する自衛でもあり当時における当然の安全保障対応であった。

帝国主義:wiki
帝国主義(ていこくしゅぎ、英語: imperialism)とは、一つの国家が、自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを拡大するため、あるいは新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策。


それは日本の安全保障上の危機を実に喫緊の問題として捉え、日本史上稀に見る「大改革」を自ら生み出した奇跡の変革でもあった。北ではロシアによる外交使節の来訪、直接的には東京湾近辺にまで迫ってきたアメリカ艦隊によって日本は外国の軍事力の脅威を目の当たりにする。当時日本には太平洋を渡る船はもちろん蒸気船そのものを保有していなかったことを考えると、オランダ他の貧弱な情報から想像していた欧米列強との科学力の差をリアルに思い知らされたと言えるだろう。

1492〜2008年の植民地の変化
※1492〜2008年の植民地の変化(動画gif:5秒間隔)クリックで拡大+動画gif動作<画像元:「植民地」wiki>

現在で言うなれば、海上保安庁巡視船程度の武力しか持たない国に対し、イージス艦あるいは航空母艦を持ってきて「開国を強要」したようなものだろうか。

欧米列強にして見れば、東洋の小さな島国でしか無く、中国大陸のような巨大な領土がない分、特段に興味をもつ国でもなかったかもしれない。生糸ぐらいしか目ぼしい産物もなく、数十万人も居る武装階級が全土を支配する侵略するに面倒なだけでメリットの薄い国だったろう。せいぜい太平洋の制海権に関して重要な戦略的意図を持っていたアメリカが日本をあわよくば植民地化する意志があったかもしれないが、そのアメリカは日本を開国させたまでは良かったが、幕末動乱を迎えようとしていた時期に本国で奴隷解放の政治的争いから南北戦争(1861年 - 1865年)が勃発してしまい、日本に介入するタイミングを失ってしまう。この時日本は皇女和宮と徳川14代将軍家茂の婚姻(公武合体)が行われ、挙国一致の体制を模索していた時期。

この時期盛んに日本に接触してきたのは、ヨーロッパでの動乱(クリミア戦争)が終結し、幕末動乱期に下関戦争や薩英戦争で実際の日本と交戦したイギリスやフランスで、それぞれが薩摩側、幕府側に別れて武器取引や軍事顧問として影響力を示そうとしていた。

すでに植民地化していたインドや東南アジアでも支配権は確保しているものの、列強同士の領土の奪い合いや現地住民の蜂起・反乱など根強い抵抗は数年に一度は発生し、極東の日本に多くの軍事力を割けなかった上に、領土もさほど大きくなく農作物以外の有益な資源を持たない日本には極東での活動拠点づくり以上の魅力はなかったとも言える。

インド大反乱:wiki
インド大反乱(インドだいはんらん、Indian Rebellion)は、1857年(管理人注:日本では天保暦の安政3年12月6日 - 安政4年11月16日にあたる。翌年の安政5年から大老井伊直弼による「安政の大獄」が始まる)から1859年の間にインドで起きたのイギリスの植民地支配に対する民族的反抗運動のことである。かつては「シパーヒーの乱」、「セポイの乱」と呼ばれたが、反乱参加者の出身が広くインド社会全体に広がっていた事から最近では「インド大反乱」と呼ばれる様になってるが、いずれにせよイギリス側の呼称であって、独立したインド側からは「第一次インド独立戦争」(India's First War of Independence)と呼ばれている。

インド大反乱

つまり日本としては、欧米列強がそれぞれの支配地域で戦乱のリスクを抱えていたために、どの国も日本に積極的に侵攻する事ができなかったという歴史的な幸運があったことは否めない。

ヨーロッパが平穏で、それぞれが帝国主義を発展させて植民地を拡大していったのは、古くは14世紀の大航海時代に始まる。この影響でアメリカ大陸が発見され、日本には火縄銃が伝来する。その当時からヨーロッパはアフリカ・アジアに植民地化の侵略を開始していたが、実際にアジアが産業革命後の武力を持って蹂躙され始めたのは18世紀以降であり、地域的にヨーロッパに近く、部族社会で組織的に抵抗できる国家(国軍)を持たないアフリカ大陸よりは時間がかかっている。

1800年頃の各国植民地
※1800年の世界の植民地の地図(各本国を含む)、クリックで拡大。<画像元:「植民地主義」wiki>

1800年頃は大航海時代を制したスペイン帝国の植民地が多いが、その後産業革命で工業力を躍進させた大英帝国が世界中に進出、支配地域を塗り替えていく。スペインやイギリスから独立したアメリカが、約100年後に南北戦争をやっている間にスペイン領やポルトガル領だった南米諸国は独立を勝ち取り、かつての両宗主国は対照的に世界での影響力を失う。

1914年(第一次世界大戦前)の世界の植民地の地図
※1914年(第一次世界大戦前)の世界の植民地の地図(各本国を含む)。wikipediaの図に加筆。クリックで拡大。

歴史的にも国境線というものがいかに不安定で常に変動しているかがわかるが、第二次世界大戦後はそれ以前に比べて比較的安定してるといえるかもしれない。それでも全く不変とは行かず、東欧諸国の共産主義からの離脱とユーゴスラビアやソビエト連邦に代表されるその後の民族自立に伴う国家解体・戦乱などは記憶に新しい。

そういう帝国主義の最も激烈な時代に幸運にも日本は、ヨーロッパから一番遠い極東という地の利もあって、アジアでタイ王国と並んで独立を保持し得た数少ない国だったし、「欧米先進国並みの近代化」に挑んで成功させた唯一の国だった。それもこれも日本という共通の言語と文化を有した島国が欧米の植民地になることを回避するための抵抗・・・つまり安全保障上の絶対条件が近代化だったわけだ。

清国がアヘン戦争(1840年)などによってイギリスほか西欧列強に食いつぶされつつある時、日本は徳川幕府の天保年間で、ペリーのアメリカ艦隊がやってくるのはその13年後。そのアヘン戦争は18世紀に始まるインド侵略の結果、インド産の阿片を清国に持ち込んだのが原因であり、当初日本が鎖国体制を維持し「攘夷政策」を求めていたのも開国による貿易が、キリスト教の普及のリスクと併せ国家体制崩壊の引き金になりかねないとの恐れがあったことは否めない。

アヘン戦争
※アヘン戦争(1840−1842)イギリス海軍軍艦に吹き飛ばされる清軍のジャンク船を描いた絵<画像元:Wikipedia>

しかし、圧倒的な国力差を認識した当時の日本人は二度の小規模戦闘(下関戦争・薩英戦争)で力の差を実感し「攘夷」を捨て「侵略されないための近代化(グローバリゼーション)」をする英断を行って驚くべき短期間のうちに形にしてしまう。

清国と日本の差は何か?それは現実認識能力の差といえるかもしれない。清国はその当時の中華序列のトップに位置する国であり、当然自国が世界の中心であると思っていた。だから基本的に外国は朝貢国かそうでない蛮族の国の2種類しかなく、貿易を望む西欧列強とて「対等な関係ではない」つもりで対峙していた。
貿易相手として対等かそれ以上を望む西欧列強は既にインド他東南アジアの国を飲み込んだ後であり、いつまでも華夷秩序(かいちつじょ)における従属的な関係に甘んじるつもりはない。

清国は中華序列の最高位にいた分、本来それらと無縁な西欧列強の意図や要求を推し量ることも汲むこともしなかったために、武力による支配を受けたとも言える。インドやインドシナ(現ベトナム)がイギリスやフランスに侵略された背景には、こうした西欧列強との付き合い方を誤った面は否めない。華夷秩序の中にあったインドシナなどは、幕末の日本にも見られた「攘夷思想」によって「現実的でない感情的な反抗」によって滅ぼされたし、全域を支配する統一国家が滅んだ後の少国家群を形成していたインドは、列強同士の勢力争いに巻き込まれる形で植民地化された。

フランス領インドシナ:wiki
イギリス領インド帝国:wiki

ヒタヒタと迫ってくる西欧列強の足音に加えて、東から大海を越えてやってきたアメリカの出現に、江戸幕府の重臣たちは「ついに来る時が来た」との思いがあったことは想像に難くない。伊能忠敬らの測量による正確な日本地図作成事業(大日本沿海輿地全図)や同時に行われた日本史上最初の国勢調査(大日本地誌大系)などは迫り来る列強に少なからず備える意識はあったとしても、切迫した危機感を持たなかった幕府に対して大陸により近い外様の雄藩から反乱の狼煙が上がったのは必然だったのかも知れない。

その時最も大きな使命感として薩長連合軍が抱いていたのは、「旧態然とした幕府体制では欧米列強に対抗し得ない」だけでなく、「植民地化されて日本が滅びることを防ぐ」というものだったろう。内側から殻を破って飛び出そうとする昆虫のように、劇的な政体変革は外圧からの自己防衛本能が原動力であったと言っても過言ではあるまい。

現在においては、力を鼓舞して領有権を主張し勢力圏を拡大しようとしている中国に対し、安保条約と日米相互安全保障体制の強化、自衛権行使による戦闘行動の容認(改憲や自衛隊法の改正)に走るのはこの当時の自衛的反応と大して違わないのである。

本来、一国として他国に支配を受けない独立独歩を歩む国づくりを目指すのは、どこの国であろうが今も昔も変わらない当然の発想だ。敵に攻めさせないために敵の方法論を学び、敵の国力(軍事力)に近づける。それによってうかつに手出しができなくなり「抑止力」としての軍が機能する。もちろん戦闘になればなったで武装により一方的な損害を被ったまま敗退するリスクだけは避けられる。少なくとも相手にも相当の損害を与えることが出来るからだ。

この戦闘において、「無抵抗での服従」か、「頑強な抵抗の後の降伏」かは全く意味が違う。少なくとも支配を目論む側の視点にたてば、損害の大きい方法は忌避されるのが普通である。

江戸末期の日本が直接的な欧米列強の侵略を受けなかったのは日本の支配が武装階級であり、明治維新当時の人口3千万人の内、士族の比率が6%、兵として実働可能な人数は1.2%の最大90万人だったことも無縁ではなかろう。

上述したように既にアジアの国々を支配下に収めるために列強はそれなりの経済的投資と人的被害を被ってきた。各植民地での独立運動の鎮圧や西欧列強同志の植民地の奪い合いなど「植民地戦争」などのキーワードでググればいくらでも出てくる。日本のように「直接統治する必要性の薄い地域」であればこそ、優位な条件で貿易を行えれば経済的に支配することが可能であり、血を流すリスクを犯さずに済むわけである。

攻められる側の日本としては過剰に反応したとも言えるが、列強による直接支配は免れた。しかし経済支配という点で明治維新で西欧列強はしっかり日本に楔(くさび)を打ち込んでいた。

日本は明治維新によって近代化したしそれによって奇跡的な発展と躍進を遂げた。しかしそれには西欧列強の思惑に踊らされた面も少なくなく、明治維新そのものが実は日本の内部の不満分子を利用して西欧支配のきっかけに利用したという見方もできる。

以下、帝国の功罪シリーズの第2期は、世界的な背景から捉え直した明治維新と西欧列強の思惑、安全保障としての日本軍の成り立ちを考察してみる予定である。

<関連記事>
●第一期
帝国の功罪(1)【ていこくのこうざい(いち)】大日本帝国の成立と発展
帝国の功罪(2)【ていこくのこうざい(に)】明治維新初期の産業と貿易
帝国の功罪(3)【ていこくのこうざい(さん)】江戸〜明治時代の教育レベル
帝国の功罪(4)【ていこくのこうざい(よん)】国民病「脚気」と「結核」
帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】北海道の光と影〜先住民族アイヌ
帝国の功罪(6)【ていこくのこうざい(ろく)】北海道開拓使の時代
帝国の功罪(7)【ていこくのこうざい(なな)】沖縄県民の歴史と感情
帝国の功罪(8)【ていこくのこうざい(はち)】廃仏毀釈と士族の冷遇
帝国の功罪(9)【ていこくのこうざい(きゅう)】売春婦と人身売買
帝国の功罪(10)【ていこくのこうざい(じゅう)】職業売春婦と慰安婦
帝国の功罪(11)【ていこくのこうざい(じゅういち)】日本軍の慰安所と慰安婦

●第二期
帝国の功罪(12)【ていこくのこうざい(じゅうに)】明治維新以前のアジア情勢と日本の安全保障
帝国の功罪(13)【ていこくのこうざい(じゅうさん)】明治維新の黒幕たち
帝国の功罪(14)【ていこくのこうざい(じゅうよん)】明治新政府の統治能力と藩閥
帝国の功罪(15)【ていこくのこうざい(じゅうご)】大日本帝国憲法と帝国議会の構成
帝国の功罪(16)【ていこくのこうざい(じゅうろく)】大日本帝国憲法の本性
帝国の功罪(17)【ていこくのこうざい(じゅうなな)】「天皇」の冤罪
帝国の功罪(18)【ていこくのこうざい(じゅうはち)】日本軍の黎明
帝国の功罪(19)【ていこくのこうざい(じゅうきゅう)】日本海軍と軍内部の抗争

●第三期
帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】明治時代に勃興した財閥と軍事産業
帝国の功罪(21)【ていこくのこうざい(にじゅういち)】侵略という思想

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