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巡る因果の物語【めぐるいんがのものがたり】

集団的自衛権が色々と取り沙汰されているここ数年だが、日米安保条約とはある意味で不平等条約である。日本が攻撃された時、アメリカは日本を防衛する義務があるとされているが、アメリカが攻撃された時日本は防衛する義務がない。これは安保法制下でも同じである。日本が防衛戦に参加するには、正当防衛といえる個別的自衛権の行使か、集団低自衛権を行使する前提となる「アメリカ軍への攻撃が日本への攻撃と同等か日本の存立を脅かす(存立危機事態)と判断される時」である。

これは日本近海での統一行動時での話であったり、ペルシャ湾やインド洋・南シナ海の公海上で日米両軍の艦船が航行中に攻撃が加えられた時位のものである。ペルシャ湾から日本へ至る海路は日本のエネルギー輸入の大部分を占める最重要航路であり、この海域の安全航行が阻害される事態は「存立危機事態」と呼べるからだ。

日本のためにアメリカの若者は血を流すが、アメリカのために日本の若者は血を流さない。アメリカが日本の安全保障での貢献を拡大させる意図の本質はこの不平等を是正する目的がある。もちろんアメリカが軍事予算を軽減する政策を行う上で、実効的な制海権確保と共に「相互安全保障」体制に近づけようとするのは自然な流れであるわけだ。

逆に考えれば理解できるだろうか?

日本の自衛隊がアメリカに基地を持ち、カリブ海に艦船を派遣してアメリカ近海の安全保障体制をとっているとする。アメリカが中南米やロシア・中国あるいはイスラム過激派の意図を汲む勢力に攻撃された場合、アメリカは平和憲法を盾に自分から防衛戦はしても攻撃はしない。敵の攻撃を止めさせるために敵国を攻撃する義務に晒され、アメリカ人のために血を流すことが求められる自衛隊・・・。

世界中誰に聞いても「自分の国ぐらいまず自分で護ろうと思わないのか?」「まして自分の国を守るために戦う同盟国軍を積極的に守り協力しようと思わないのは身勝手過ぎる」と言うだろう。

アメリカの戦争に付き合わされると言うのなら、日本近海で起こる可能性のある戦争に関して言えば、
戦争に付き合わされるのはアメリカの方なのだ。

実はあの東日本大震災の直前、ある情報がアメリカを動かし2隻の空母が日本近海へ展開した。

↓自民党「青年局」Cafesta『決戦は金曜日』宇都隆史議員×佐藤正久議員(2013.6.14)

※東日本大震災当時の自衛隊の体制と米軍の協力について(指定時間再生なので全編を見たい人はyoutube元サイトでどうぞ)

震災後、日本を防衛した空母2隻体制:The-LibertyWeb
震災後に日本に駆けつけた空母ロナルド・レーガンと、横須賀を母港とするジョージ・ワシントンの2隻体制が中国やロシアなどに対する強力な抑止力となっていたことが明らかになってきた。菅直人首相が自衛隊10万人を被災地に送り込んだためにできた防衛体制の空白を埋め、国防上の危機を未然に防いだ格好だ。

国際エコノミストの長谷川慶太郎氏は、共著『東日本大震災 大局を読む!』で「日本に来た本当の狙いは第7艦隊の増強であって、ロナルド・レーガンは震災の処理が終わっても帰らずに日本に常駐することになっている」と述べている。
2隻体制になり、第七艦隊の戦力が倍増するのだが、これは中国などへの備えだという。

ジョージ・ワシントンは震災後の3月21日に横須賀を出港し、1カ月後に帰港するまで、佐世保港に2回寄港。この間、東シナ海や日本海を航行し、中国や北朝鮮、ロシアの動きに警戒に当たっていたとみられる。
ロナルド・レーガンは3月9日に米サンディエゴ港を出港、米韓軍事演習参加のため韓国を目指したが、震災翌々日に仙台沖に到着し、4月4日まで救援活動を続け、同月19日に佐世保港に寄港。その後、東南アジア方面へ移動した。


空母ロナルド・レーガン
<画像元:ロナルド・レーガン 空母(wiki)>

この背景と言われるのが、中国の当時の主席だった胡錦濤とアメリカのゲーツ国務長官との会談だ。

中国の崩壊に着々と備えるアメリカ:午後のカフェ・オレ
中国の自壊と内乱を想定し、準備を整えているアメリカが中国の「変調」を察知したのは、2011年1月。

ゲーツ国防長官は、北京で胡錦濤と会った。
その日は 中国空軍の開発したステルス戦闘機(殲20)のテストフライトを実況中継した。

ところが 中央軍事委員会主席の胡錦濤は そのことを知らなかった。

つまり中国空軍が胡錦濤主席の了承も指示も待たず、勝手にステルス機のテストフライトの実況中継をやらせた。

ワシントンに帰ったゲーツは「中国共産党の指揮下にある人民解放軍が 共産党トップのコントロールから外れている」
「文民統制が崩壊している」とオバマ大統領に報告し、オバマは第7艦隊(西太平洋とインド洋担当)の増強を図った。
休止していた空母ロナルドレーガンが3月9日 サンディエゴを出航する。
そして太平洋航行中に 東日本大震災が起き、震災から3日後三陸沖に着いた。
アメリカの「友達作戦」で中心的役割を担う。
(参考、2015年〜 世界の真実 長谷川慶太郎:著

この時の空母ロナルド・レーガン艦長は、トム・W・バーク大佐。彼と日本には因縁がある。バーク大佐の祖父は第二次世界大戦時の海軍大佐アーレイ・バーク。日本を目の敵にして憎しみを抱いていた嫌日家だった。駆逐艦乗りとして名を馳せ「アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦」に自身の名前を残す。彼が後に日本の海上自衛隊の実質的な生みの親とも言える「恩人」であることは関係者以外ではあまり知られていないが、嫌日家だったアーレイ・バークが一転親日家に転向したエピソードはなかなか興味深い。

アーレイ・バークトム・バーク
(左)アーレイ・バーク (右)トム・バーク
<画像元:小名木善行 ねずさんの ひとりごと>

単語記事: アーレイ・バーク:ニコニコ大百科
太平洋戦争開戦時、ワシントンで内局勤務のまま中佐だった彼の再三の要望が通り、戦争中盤に南太平洋海域に配属され、駆逐隊、水雷戦隊司令を歴任。ソロモン海を中心に日本海軍と戦いを繰り広げることになる。この功績などもあり大佐に昇進。1943年10月には第23駆逐隊群<リトル・ビーバーズ>司令として着任する。
ブーゲンビル島沖海戦に参加。そしてセント・ジョージ沖海戦ではレーダーを生かした戦いで日本海軍のお家芸でもある夜戦において勝利を得る。
この戦いでバーク率いる水雷戦隊は、バーク立案の戦術のもと日本海軍駆逐艦3隻(<巻波>、<大波>、<夕霧>)を撃沈せしめた。ちなみに<大波>艦長は、吉川潔中佐(この戦いで戦死)。前<夕立>艦長として第三次ソロモン海戦で勇名をはせた名駆逐艦長であった。
(中略)

(※管理人注:戦後はアメリカ海軍内部の政争で窮地に追いやられるが)朝鮮戦争勃発と前後して日本に極東艦隊参謀長として1950年に赴任することとなる。

(中略)
日本に纏わるエピソード
当初は日本に赴任後、朝鮮半島へ出張などを繰り返したためホテル暮らしだったという。
前述したように日本人に対して悪い印象しかなかったため日本人とは距離を置こうとしたが、ホテルでうけた親身な対応の数々に感銘を受けて、考え方を変える一因になったという。
…朝早くに出て深夜にホテルに寝に戻る生活を繰り返す中、ベットと椅子と鏡台だけという殺風景な部屋の様子をいくらかでも華やかにしようと慰みとして花を一輪買い求めコップの中に差していたところ、翌日花瓶が用意されて差し替えられていた。さらには花が時折変わるのにも彼が気がついた。
ひそかなもてなしに関心したバーク提督がフロントに尋ねたところ、そんな指示は出しておらずルームメイクを担当していた女性のポケットマネーによるものだったという。ごくわずかな給金の中から花を購入していたというその女性は戦争で…しかも戦争中バークが活躍したソロモン海の戦いで夫を亡くした未亡人だという。彼は金銭面でのお礼を申し出たが彼女は丁寧な口調で断ったという。あわせて夫を失ったのは自分のせいかもしれないというバーク提督の謝罪の言葉に彼女は毅然と、提督は軍人としての勤めを果たしただけであり、悪いとすればそれは戦争ですと答えたという。
(彼はいささかの金額を、彼女の退職手当用に匿名でホテル側に寄付することにしたという)
…朝鮮半島の出張から戻り、アメリカ人の出迎えもないまま汚れた惨めな格好で夜中にホテルに帰ってくると、案内される部屋が変わっていた。さほど気にもとめていなかったが、前の部屋があった階で働く従業員が現れ、貴方が家に帰られないので残念がっていると告げた。そうであるならばと、バーク提督とその従業員の二人はフロントに赴き交渉。以前使っていた部屋へ戻ることになる。以前の部屋に戻るとその階を担当している従業員達全員が現れ暖かく出迎えるとともに暖かいお茶を用意してもてなしてくれた。その心遣いにバークは思わず涙が出そうになったと後に語っている。
このように単なる客にしか過ぎない彼(しかも元敵国軍人だというのに)に対してホテルの職員たちは親身に接していたという。
以上のような話が続き、彼は自分の日本人嫌いが正当なものであるのか考えるようになったという。
(中略)
バーク提督が残した日本の海軍再建および海上自衛隊についての発言・文章は以下のとおり。

『(日本の海軍再建について合衆国の利益であると述べた上で)日本が自らの防衛力を有することは、自由社会と合衆国の利益にかなう。なぜなら合衆国が日本を守れないときが必ずくるからである。私は合衆国と日本が友好国であり同盟国であるべきだと信じた。(中略) 世界のために貢献するには、他国に影響を及ぼし得るよう、経済、軍事、政治の各分野において強力でなくてはならない。三つすべてが必要である。どんな国も他国に完全に頼りきるべきではない。もしそうなれば強国の属国になるしかなく、何ら進歩に貢献できないであろう

1950年以降のものと思われるこの言葉には今あらためて重みを感じる。アーレイ・バークの理想は残念ながら未だに達成されていない。「もしそうなれば強国の属国になるしか無く」とは現在の日本の姿でもある。因果な話を付け加えると、3.11東日本大震災の「トモダチ作戦」は有料だったらしい(爆)美談ですまないのはさすが抜目のないアメリカである。しかし、彼らの作戦行動が多くの日本人を救ったこともまた事実。金で済むのならこれも現状では仕方ないのかもしれないが(^^;)

中国の体制崩壊を警戒して空母を持って行ったら日本で災害が起き、自衛隊がそっちにかかりっきりになってる間、対外警備を助っ人し、ついでに救助活動も支援・・・って、まるで中国牽制の遠征費用を稼ぐバイトをしたようなものではないか(爆)

トモダチ作戦の見返りはおもいやり予算1880億円×5年:NEWSポストセブン 2011.04.19
 米国が2万人の“トモダチ”が駆けつけた「トモダチ作戦」は日米メディアで大絶賛された。だが、そもそも8000万ドル(約67億円)が計上された「トモダチ作戦」は無償の友情ではない。

 年度末の3月31日には民主、自民などの賛成多数で「思いやり予算の特別協定」が可決された。有効期限は従来の3年から5年に延長され、今後5年間、日本は米軍に現行水準(約1880億円)を支払い続けることを決めた。


最近の話題に絡めると、安保法制は立憲主義にも反しているが、憲法自体が世界標準の平和観から逸脱した国連憲章違反の疑いもある。
ねじれにねじれまくった日本の安全保障がブチ切れるのか、それともゆるやかに解かれ本来あるべき姿に向かい、アーレイ・バークが熱望したように真の独立国として対等の同盟関係を持てるのか。

日本国憲法を起案したマッカーサーや民政局のホイットニーは、第一次世界大戦後のパリ不戦条約を知らないはずがない、幣原喜重郎白鳥敏夫または憲法研究会がマッカーサーにヒントを与えた可能性は確かにあるが、草案としてGHQが日本政府に突きつけたのはマッカーサー・ノートを基本にしたGHQ草案である。

幣原喜重郎幣原喜重郎〜戦後:wiki
GHQのマッカーサーと1946年1月24日に会談。この日のマッカーサーとの会談で平和主義を提案する。天皇制の護持と戦争放棄の考えを幣原の側からマッカーサーに述べたとされる。その前の12月、幣原は風邪で倒れ、病床で「つくづく考えた」のであった。幣原の憲法草案が保守的でGHQから拒否されたというのは、誤解であり、GHQから拒否されたのは、幣原・マッカーサー会談の後に出来た国務大臣松本蒸治を長とする憲法問題調査会(松本委員会)がまとめた「松本案」である。順番からいえば、憲法制定過程は、幣原・マッカーサー会談(これで大筋合意。しかも、幣原から平和主義を提案。幣原は自分で「病床でつくづく考えた」のであり、マッカーサーからの圧力はなかったと思われる)→松本案が完成(松本案自体は45年10月から作り始めていた)→松本案がマッカーサーによって拒否される(46年2月1日頃。『毎日新聞』のスクープでGHQは内容を知る)→マッカーサー3原則(46年2月3日)→GHQの民生局が草案を作成(8日間で草案を作成)→マッカーサー草案ができて(2月13日、松本国務相と吉田外相は「松本案」の返事を聞きに行ったが、逆にマッカーサーから草案を渡される)閣議が大荒れ(2月19日)→幣原はマッカーサー案を原案として採用し修正することを決める(同日)→幣原・マッカーサー会談2回目(21日)→修正を求めることを幣原が閣議でいう(22日)→閣議も了解(2月22日)→昭和天皇も幣原総理を激励という順である。


河上暁弘 日本国憲法第9条成立の思想的淵源の研究 - 専修大学 :PDF
1951年5月5日のアメリカ上院軍事・外交合同委員会聴聞会での証言である。ここで注目すべきは,戦争についてのマッカーサーの答え,そこでの用語の共通性,すなわち,マッカーサーは(例えば,不戦条約や日本国憲法第9条の言葉である「戦争の放棄(renounce of war)」などではなく),「戦争非合法化」運動の言葉(キーワード)であるところの「戦争の廃絶(abolition of war)」や「戦争の非合法化(outlawryof war)」を使っている点である。例えば,幣原が提起してきた戦争放棄の理念が盛り込まれた日本国憲法について,「日本では,何人もの仲間の死を数え,何人もの仲間の埋葬を行ってきたのです。そして彼らは,自らの決断によって,自らの憲法に戦争非合法化(outlawing war)の規定を書き込んだのです」(英語原文省略)と述べている。その他にも,マッカーサーは,こうした言葉を使い続けていることも付言しておきたい。こうしたことは,あるいは,マッカーサーが「戦争非合法化」論を知っていた状況証拠と言い得るかもしれない。


日本国憲法「第九条」の草案者は誰か? - ワシーリー・モロジャコフ:BLOGOS
白鳥敏夫1945年12月10日公判を待つために東京の巣鴨拘置所に拘留中の、前駐伊大使で同時に「A級戦犯」であった白鳥敏夫は、吉田茂外相(当時)あての長文の手紙を書き終えた。手紙は英語で書かれていた。拘置所の検閲を難なくすり抜けられるようにするためか、それとも手紙が占領軍本部の目に留まるようにするためなのか。占領軍に読ませるためだったとの可能性が濃厚であったとみられる。 <画像元:白鳥敏夫(wiki)>
(中略)
吉田は、戦前、白鳥からの依頼を受け、長年にわたり外相を務めていた幣原喜重郎を白鳥に紹介したことがある。1946年1月20日以前に、手紙は、連合国軍最高司令官であるマッカーサーの総司令部に届けられていたが、一体、誰が手紙を受け渡し(吉田本人である可能性も考えられる)、誰が実際に手紙を読んだのかは不明である。
(中略)
白鳥が手紙の中で憲法改正および「戦争放棄」を盛り込むことについて記している部分の和訳が、1956年、東京裁判で白鳥の弁護人を務めた廣田洋二によって公表された。著者は、入手可能なありとあらゆる資料を精査し、マッカーサーが、第九条の着想を幣原から受けたであろうこと(この時のことについて触れているマッカーサーの回顧録が出版されたのは、手紙が公開されてから8年後のことだった。)、そして、その幣原に影響を及ぼしたのが白鳥である可能性は充分すぎるほどあるという結論に達した。



「戦争放棄という平和主義」は思想的にはいくらでも過去に遡れそうだが、日本のそれも憲法の条文として具体化したのはGHQであろう。独立権まで否定するかのような交戦権と戦力保持の否定は、その後ご都合主義的に「憲法解釈の変更」と言う裏ワザですり抜けたものの、日本の独立回復後に改憲を試みなかった点では、アメリカの洗脳教育が「あまりに純真な(マッカーサー曰く)12歳の子供の日本」には効きすぎた薬となって今も副作用を生んでいる。

因果はぐるぐる回っていつまでも未来にまとわりついている。「いい話」もついてまわるのだが、「悪い話」がどうにも後から後から見えてくるのは正直うんざりするのだ(^^;)

もういい加減悪い因果を断ち切りたいと思っているのが日本人の共通認識ではあるはずだと思うのだが・・・。
このまま「奴隷の平和」を「9条がもたらした平和」と誤解したまま日本がねじれていくのなら別のトンデモナイ因果を生み出してしまいそうな気もするのだ(笑えないなこりゃ(^^;))

JUGEMテーマ:歴史
Posted by soup2001 | comments(0)  trackbacks(0)



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