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帝国の功罪(15)【ていこくのこうざい(じゅうご)

大日本帝国憲法と帝国議会の構成

1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法と翌年の帝国議会の設立によって日本の近代化は、一応の決着を迎える。対外的にも(主に西欧列強に対して)また国際的に共通の価値観を持った近代国家としての体裁が整い、富国強兵のためのレールがようやく敷かれたということになる。

明治天皇日本の近代化は国内の増強はもとより、西欧列強に対等に扱われるための信用形成が主目的であり、そのためには民意をある程度汲む政治体制、絶対君主制ではない民主的な国家像を示す必要があったろう。
まず、近代化に伴い憲法を制定し、西欧列強に対等の立場に立つ政治思想の反映として立憲君主制を取る事を明示した。つまり国家元首である「天皇」の権限を憲法によって規制する法律である。

<画像元:wiki>

この憲法によって天皇の国政に係る位置づけを明確化し、直接的干渉を排除することになる。実際の歴史でも、天皇陛下が政治に干渉する場合は「戦争の開始と終わり」が主で、天皇が指揮して命令を下す形でなく、臣下の具申に承認を与える形での「権威としての天皇のあり方」を極力守ったといえる。満州事変から大東亜戦争での流れの中で陛下ご自身が政府や軍の対応に不快感を示すことはあったが、終戦の詔で天皇が直接的に政治に介入したのは最初で最後の例だったかもしれない。

ある意味で天皇は極力政治の表舞台に立つことを忌避され、政治的影響力を他者に利用されることを恐れた。結果的にそれは自身が最高指揮官でもある軍部によって「統帥権」を盾に利用され大日本帝国を崩壊させるきっかけにはなるのだが、富国強兵の制度設計の上で、軍部が暴走するリスクを計算できなかったことは欠陥であったと言えるし、明治維新そのものが薩長連合が主体となった武装革命である以上、「軍部が主体となって国を引っ張る思想」が切り離せなかったとも言える。

貴族院
※貴族院<画像元:ウィキメディア・コモンズ>

帝国議会は衆議院と貴族院の二院制が採られ、民主主義的議会政治の体裁を整えたが、貴族院は出自によって自動的に得られる身分上の特権でもあった。
皇族議員は満18歳以上の皇族男子に自動的に議員資格を与えるものであり任期は終身、定員がないため皇族男子が増えれば議員数も増えた。華族議員は旧士族・公家など幕藩体制での支配階級の家柄から様々な方法で選任されたし、公爵・侯爵の満30歳以上の男子も自動的に貴族院議員となる資格を持ち、伯爵・子爵・男爵も満25歳以上の男子をそれぞれの爵位を持つ者達の選挙で選抜される(任期7年)定員制であったが、一般の国民とは明らかに格差のある特権階級としての待遇を得ていた。
あと勅選議員という内閣の輔弼(ほひつ:助言・推挙すること)によって天皇が任命した議員は終身議員であり、内閣が推挙する上でそれ相応の学識経験者か国家に勲労ありと認められた30歳以上の男子というように特別待遇であった。また高額納税者を対象とした貴族院多額納税者議員というものも存在し、一部を除き非改選であることを含め、貴族院が特権階級や一部の富裕層を代表した議院(上院)であることを表している。

これに対して衆議院の被選挙権は男子満30歳以上で選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その選挙府県内において直接国税15円(現在の価値で約30万円)以上を納め引き続き納める者であり、選挙権は同じく男子で年齢満25歳以上、直接国税15円以上を納め引き続き納める者という選挙権が国民に無条件に与えられる制度ではなかった。

明治政府
※画像クリックで拡大<画像元:wiki>

所得税など納税義務者が最終負担者と一致する税金の額が年間30万円を超えるとなると現代の所得税法では年収400万円以上になるが、低所得者層の意見は排除されるのと同じであり貧民に対する国政参加のチャンスはなかったといえる。大正14年(1900年)原敬)はらたかし)内閣で普通選挙法で納税資格がなくなり貧富の差で選挙権が左右されることはなくなったが、女性の参政権は昭和20年(1945年)まで認められなかった。

貴族院:wiki
第二次世界大戦前にも婦人参政権の導入、労働組合の容認、帝国大学の増設などの法案が議会に提出され、衆議院では可決されているが、こうした「進歩的内容」の法案は貴族院が否決することがしばしばあった。同様に普通選挙法も否決される可能性があったが、こちらは治安維持法とのセットにする事により可決した。
貴族院は保守的であるが、内閣に対してもある程度の自立性を持ち、衆議院とその地位を競った結果、政権を幾度となく窮地に陥れてもいる。政権が政党に妥協した時には反政党の立場から政権と対立することもあった。1900年、伊藤の増税案に対して、貴族院は政友会の党利党略を理由にこれを否決した。手を焼いた伊藤は明治天皇に貴族院が法案成立に協力するよう求める勅語を出させ、従わせたことがある(貴族院はその性質上、勅語には従わざるを得ない)。

せっかくの立憲君主制だったが、天皇の権威を政策に利用する、あるいは法案の成立を天皇の権威に頼る点は「天皇という絶対権力者」を憲法で策定してしまった以上逃れられない宿命だったのかもしれない。

少なくともこの時代の日本における立憲君主制には、民主主義を阻害あるいは制限する二つの厄介な要因を抱えていた。

陸軍と海軍の軍部と貴族院がそれぞれ独立性が高く、その時折の政権に従順でなく、反発や対立が頻繁に起こっていた。国民の生活向上よりも国家の発展が優先(維新以降一貫して富国強兵政策なので当然といえば当然だが)されていたし、自由民権運動など野に下った旧士族など、武器ではなく言論で政府に対抗してくる勢力も、単純に薩長勢力の権力独占に対する反発や国家運営に対しての不平等に対する抵抗の意味もあり、近代日本をなんとか確立しようとしていた新政府の面々には内憂外患の思いだったかもしれない。

いつの時代でも政治とは、「税金で吸い上げた経済資源の再分配」を争うものであって、高尚な理念も先立つモノがなければ形にもならないのはどこの世界でも同じだったのだ。

だからこそ新政府は国家の歳入を増やすために産業振興に力を入れ、それによって得られた金(国家予算)をさらなる発展と国軍の充実に優先して分配した。少ないパイを奪い合うときに起こる争いは、文明開化に踊り国民の気分が高揚している時代には今以上に激しいものがあったかもしれない。

そしてさらに明治時代の議会政治にはもう一つ特筆すべき機関が存在していた。枢密院である。

枢密院:wiki
枢密院
枢密院(すうみついん、旧字体:樞密院)は、枢密顧問(顧問官)により組織される天皇の諮問機関。憲法問題も扱ったため、「憲法の番人」とも呼ばれた。
(中略)
大日本帝国憲法第56条では官制の規程に基づき天皇の要請を受けて重要な国務に関し審議すると規定された。
(中略)
枢密院と内閣の政策が対立した場合、話し合いによりどちらかが譲歩するケースが多かったが、1927年(昭和2年)には台湾銀行救済のための第1次若槻内閣による緊急勅令案を19対11で否決し内閣を総辞職に追い込んだ。これは枢密院によって内閣が倒れた唯一の例である。
(中略)
似たような問題として、1930年(昭和5年)、浜口内閣におけるロンドン海軍軍縮条約の批准問題がある。このときは、条約批准を目指す政府(立憲民政党濱口雄幸)と、枢密院、海軍の軍令部、鳩山一郎らを中心とする野党政友会が対立し、内閣が軍部の意向に反して軍縮を断行するのは天皇の統帥権を侵すものである(統帥権干犯)との非難が浴びせられ、加藤寛治軍令部長による帷幄上奏まで行われ、枢密院でも反浜口内閣の動きが大いに顕在化した。
(中略)
これほどの対立には至らなくとも、明治から大正にかけて山縣有朋が枢密院を盾に反政党的な策動を行っており、山縣の死後も1928年(昭和3年)の不戦条約批准問題等において策動した。

いやはや、この時代の内閣はもう一つの難題も同時に抱えていたようだ。相手が「天皇のシンクタンク・ブレーン集団」のような機関だけに、政権担当者特に首相は相当にタフな精神の持ち主でなければ務まらなかったろう(^^;)

帷幄上奏:wiki
帷幄上奏(いあくじょうそう)とは、君主制国家において、帷幄機関である軍部が軍事に関する事項を君主に対して上奏すること。帷幄とは「帷をめぐらせた場所」のこと。
(中略)
1889年(明治22年)制定の大日本帝国憲法によって一般統治権と軍の統帥権の分離が明記されたが、同年の内閣官制第7条によりこれが制度化され、軍の統帥権は内閣総理大臣の国務上の輔弼事項の例外とされた。
本来、国務大臣は憲法上、帝国議会に対してその責任を負うが、権力分立の外側にあった統帥部(帷幄機関)はその責任がなかった。また、帷幄上奏が認められていたのは、軍事のうちの軍機・軍令に関する問題のみであり、残る軍政に関しては陸軍大臣・海軍大臣が国務大臣の一員として内閣総理大臣を通じて上奏すべき問題とされていた。
ところが、純粋たる帷幄機関の代表である参謀総長や軍令部総長のみならず、国務大臣である陸軍大臣・海軍大臣までもが、本来は内閣の管轄である軍政一般に関する問題までを統帥権の一部と位置づけて帷幄上奏を行った事や、両大臣が軍部大臣現役武官制によって現職の大将・中将に限定されていた事から、軍部が政府・議会を軽視する風潮を生み、結果的に軍部の暴走を招く一因となったといわれる。

帷幄上奏
↑帷幄上奏の取り決めに関する資料<画像元:近代日本のこんな歴史>

「帷をめぐらせた場所」が何故軍部を指すのかがピンと来ない人は、「帷」は幕のことであり戦国時代以降の戦における「陣」とその場所を特定する「陣幕」を想像すれば分かるのではないか?

軍が政府から独立性が高かった理由が大日本帝国憲法にあったことは知っていたが、直接的に軍を掌握する機能を内閣が持たされていなかったことに少々唖然としている(^^;)

アメリカ大統領のように政治・外交・安全保障の最前線に居る人物が軍の最高指揮官である場合は、矛盾は生じないが、立憲君主制を採用した日本にとっては、「政治・外交の責任は内閣が負うが、軍は軍自身が責任を負う」というのではシビリアンコントロールもあったものではない(^^;)軍の統帥権者が天皇である以上、いくらでも天皇の権威を傘に内閣に圧力をかけられるというものだ。

昭和に入って軍が暴走を繰り返していったのも根っこはここにあった。そしてそれを規定した大日本帝国憲法は昭和20年の敗戦で日本国憲法に置き換わるまで、タダの一度も改正(改憲)されることはなかった。

つまり既得権者である軍部の力をそぐような改憲は徹底的に潰しにかかったからでもある。日本国憲法もどうやら、「平和主義というお題目の下に」いま既得権を持ってる連中が「護憲」を叫んでいるといえば、タダの反戦が理由でないのもうなずける話である。かつては超好戦的な軍が国を滅ぼさせた。今度(現代)は超反戦的な左翼が国を侵略させる・・・なんてことにならなければ良いのだが(^^;)

明治維新から近代国家を建設する過程において、新政府の政策は概ね良好だったといえるだろう。しかしそれでもあとの時代から見てみると制度の欠陥がチラチラ見えてくる。心を一つに富国強兵を求めた時代を過ぎ、富国強兵を実現したようにうぬぼれた時が、大日本帝国の終わりの始まりだったといえるのかもしれない。

<関連記事>
●第一期
帝国の功罪(1)【ていこくのこうざい(いち)】大日本帝国の成立と発展
帝国の功罪(2)【ていこくのこうざい(に)】明治維新初期の産業と貿易
帝国の功罪(3)【ていこくのこうざい(さん)】江戸〜明治時代の教育レベル
帝国の功罪(4)【ていこくのこうざい(よん)】国民病「脚気」と「結核」
帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】北海道の光と影〜先住民族アイヌ
帝国の功罪(6)【ていこくのこうざい(ろく)】北海道開拓使の時代
帝国の功罪(7)【ていこくのこうざい(なな)】沖縄県民の歴史と感情
帝国の功罪(8)【ていこくのこうざい(はち)】廃仏毀釈と士族の冷遇
帝国の功罪(9)【ていこくのこうざい(きゅう)】売春婦と人身売買
帝国の功罪(10)【ていこくのこうざい(じゅう)】職業売春婦と慰安婦
帝国の功罪(11)【ていこくのこうざい(じゅういち)】日本軍の慰安所と慰安婦

●第二期
帝国の功罪(12)【ていこくのこうざい(じゅうに)】明治維新以前のアジア情勢と日本の安全保障
帝国の功罪(13)【ていこくのこうざい(じゅうさん)】明治維新の黒幕たち
帝国の功罪(14)【ていこくのこうざい(じゅうよん)】明治新政府の統治能力と藩閥
帝国の功罪(15)【ていこくのこうざい(じゅうご)】大日本帝国憲法と帝国議会の構成
帝国の功罪(16)【ていこくのこうざい(じゅうろく)】大日本帝国憲法の本性
帝国の功罪(17)【ていこくのこうざい(じゅうなな)】「天皇」の冤罪
帝国の功罪(18)【ていこくのこうざい(じゅうはち)】日本軍の黎明
帝国の功罪(19)【ていこくのこうざい(じゅうきゅう)】日本海軍と軍内部の抗争

●第三期
帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】明治時代に勃興した財閥と軍事産業
帝国の功罪(21)【ていこくのこうざい(にじゅういち)】侵略という思想
帝国の功罪(22)【ていこくのこうざい(にじゅうに)】自由民権運動の変節


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