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帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】

本エントリは「帝国の功罪」第三期シリーズの始まりである。前回までと同様、不定期の更新となるが、今回は恐らくシリーズ内のエントリ更新は間隔が空くと思われる。
膨大な資料を読み込む時間と咀嚼してアウトプットする時間がこれまで以上にかかることが原因だが、いやはや、資料を片っ端から調べ始めると、歴史に関して特に明治以降の近代史に関しては、歴史の専門家ではないにせよ一般に比べれば結構詳しいつもりでいたのだが(^^;)その自信過剰をいとも簡単に打ち砕く情報の邂逅との連続で、これまでのエントリも少々怪しい部分が見え始めてきて(爆)筆が進まないことも予想されるからだ。

なので最初にお断りしておく。今後過去のエントリを含めて、事実関係の誤りや解釈の訂正・変更は随時行うものとする。結果的に自分の考えが最初とは変節してしまう部分もありうるので、「過去エントリと言ってることが違う」との批判は、新しいエントリのものを優先して「考えが変わった」とご理解いただきたい。


明治時代に勃興した財閥と軍需産業

陸海軍ともに明治維新後はしばらく海外からの武器輸入に頼っていた。国内で製鉄所や重工業を興しつつあっても、自力で武器を作り出す技術も知識もまだない時代、明治政府の方針により日本人の興した輸入商社から輸入する内達を行うと、それまで外国人の経営する商会の日本支社だった会社が、軒並み邦人企業として独立または元の商会の出資を得て新会社を設立、機械・船舶・武器などの軍需品の輸入商社として発展していく。

三井財閥:wiki
三井家の歴史は、太政大臣・藤原道長に発し、その後藤原右馬之助信生が近江に移って武士となり、初めて三井の姓を名乗ったという。
早川隆によると「三井財閥の先祖は伊勢商人で慶長年間、武士を廃業した三井高俊が伊勢松阪に質屋兼酒屋を開いたのが起源という。三井家はもともと近江の国佐々木氏の家来で、先祖は藤原道長といっているが、道長とのつながりは後から系図を作ったのかもしれない。」という。
三井高俊は質屋を主業に酒、味噌の類を商った。店は「越後殿の酒屋」と呼ばれ、これがのちの「越後屋」の起こりとなる。高俊の四男・三井高利は伊勢から江戸に出て1673年(延宝元年)越後屋三井呉服店(三越)を創業。京都の室町通蛸薬師に京呉服店(仕入れ部)を創業。その後京都や大阪でも両替店を開業し、呉服は訪問販売で一反単位で販売し、代金は売り掛け(ツケ払い)、という当時の商法をくつがえす、「店前売り」と「現金安売掛け値なし」(定価販売)などで庶民の心をとらえ繁盛。その後、幕府の公金為替にも手を広げ両替商としても成功し、幕府御用商人となり、屈指の豪商となった。
三井は幕府御用を全面的に歓迎した訳では無かったが、幕府との関係は初期の経営に重要な役割を果たし、公金為替による幕藩体制との密着度は深くなっていた。明治維新後、三井家は薩長主導の明治政府の資金要請に応え、政商の基盤を確固たるものにした。幕末・維新期を通して、日本政府は三井との関係無しでは存立がいかない状況となっていた。


富嶽三十六景
富嶽三十六景 二番:江都駿河町三井見世略圖

2015年度下半期NHK朝ドラ「あさが来た」のモデルとなった広岡浅子の実家であり、商売の手腕では昔から話しに聞く「近江商人」は、その時々の政府と強い結びつきを持ち、金融的に切り離せないような「癒着」を背景に激動の時代を生き残り、現在も存続している。政府と結んだことで政界とのつながりも強く、政治家を輩出したり支援したり、そのグループ全体の力は、今尚絶大な影響力があると言っても過言ではなかろう。

住友財閥:wiki
世界財閥家系のなかでも、最も古い歴史を持つ住友家だが、住友家の先祖は平家一門といわれ、桓武天皇の曾孫・高望王の二十二代目に備中守忠重が現れ、「住友姓」を称し、室町将軍に仕えたとされている。いわば、この武家である住友忠重が「始祖」ということになるのだが、住友家には、家祖と業祖と2つの創業者が存在する。
家祖といわれるのは、忠重から数えて八世にあたる住友政友(現在の福井県坂井市丸岡町出身)で、この人が武士から僧侶となり、そののち還俗して京都で書籍と薬を商う「富士屋」を開き、商家・住友家を興した。業祖といわれるのは、政友の姉婿にあたる蘇我理右衛門で、この人は南蛮吹きといわれる銅精練の技術を開発し、天正十八年(1590年)京都に銅吹所を設けた。のちにこの銅吹所が住友家の家業となったので理右衛門を業祖と崇めた。政友には一男一女があり、一男・政以は父の商売「富士屋」を継ぎ、一女は政友の姉婿にあたる理右衛門の長男・理兵衛友以を養子に迎え、ここで「家祖」と「業祖」が結合する。しかも理右衛門の妻は政友の姉であるという密接な関係だったが、この代でさらに両家の血が結合したことから、住友二代目は友以が継いだ。

別子銅山
※戦前の別子銅山

住友銅吹所発掘調査報告
以後、住友家は代々「泉屋」の商号で銅銀商を営むことになる。(現在の三井住友銀行事務センター(大阪市中央区島之内1丁目)が「住友銅吹き所跡」である。)

銅山経営で豪商となり江戸幕府〜明治維新を乗り切った住友は、経営を多角化させ巨大コンツェルンを形成する。

三菱財閥:wiki
岩崎弥太郎土佐藩出身の岩崎弥太郎が創立した三菱商会を基盤に、明治政府の保護も得て海運業を独占。1893(明治26)年三菱合資会社を設立。これを持株会社として造船業・鉱業・鉄道・貿易などあらゆる分野に進出。第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指令により解体された(財閥解体)。

※画像は創業者岩崎弥太郎
最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立し全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前に察知した弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であるが、いわば弥太郎は最初から、政商として暗躍した。

土佐藩は坂本龍馬が近江屋井口新助邸で暗殺されたことで解散した海援隊の後身として、大阪市西区堀江の土佐藩蔵屋敷(現在の土佐稲荷神社付近)で始めた九十九商会の監督を弥太郎に1870年に任じた。さらに翌年の廃藩置県後、九十九商会は個人事業となった。弥太郎は県から土佐藩所有の船三隻を買い受け、1873年に三菱商会と改称し、海運と商事を中心に事業を展開した。これを機に西南戦争(1877年)のときには、さらなる巨万の富を掌中にする。

商会はこの戦争で政府側の軍隊・軍需品の輸送を一手に引き受けたばかりか、戦争終結の残った軍需品の処分までまかされ、一挙に莫大な利益を得ることになった。政府が西南戦争で支払った戦費は4,150万円といわれるが、そのうち1,500万円が三菱の儲けだった。しかし、その裏には後藤象二郎を通じてときの最大の権力者大久保利通、大隈重信といった政府要人の後ろ盾があったことは言うまでもない(ちなみに三井財閥は、長州閥の伊藤博文、井上馨、品川弥二郎らに肩入れして対抗していた)。

三菱も三井もある意味「インサイダー取引」「政官癒着」の構造で急成長し財閥となったわけだ。2010年度のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は創業者岩崎彌太郎の視点から坂本龍馬を描いていたが、ドラマの冒頭でアメリカ南北戦争が描かれ、それに使われた武器の転用が明治維新(戊辰戦争)で、ロックフェラー経由で三菱商事の前身九十九商会が新政府に武器を調達。その意味で言えば、この時既に三菱はアメリカの巨大コンツェルンの傘下に組み込まれていたとも言える。後に国策企業として軍需産業に成長した三菱は、大東亜戦争敗戦後GHQの占領支配時に財閥解体の命令で分割されるが、講和独立後占領政策から脱した時、他の財閥同様にグループ再統合の動きを見せ、現在の三菱グループを形成する。

安田財閥:wiki
安田財閥(やすだざいばつ)は、富山県出身の安田善次郎が設立した財閥である。日本の四大財閥の一つ。金融部門の絶対的な優位性を持つことから「金融財閥」とも呼ばれる。安田財閥の金融資本は他の財閥の追随を許さず、日本で最大の規模を誇っていた。

みずほグループや東京海上火災、損保ジャパン日本興亜、明治安田生命など保険・金融業務をはじめ、沖電気など現存する企業は数多い。三井住友ほど派手ではないが実業としての堅実さは他の財閥と比べても遜色ない。金融業を中心とした産業育成に貢献し現芙蓉グループの中核となった財閥である。

古河財閥:wiki
古河財閥の源流は、明治8年(1875年)に創立された古河本店(現・古河機械金属)にさかのぼり、足尾銅山における鉱山開発事業の成功を経て事業の多角化・近代化を強力に推進、一大コンツェルンを形成した。しかし、第二次世界大戦敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により解体された(財閥解体)。戦後は古河グループ(古河三水会)を称し、金属・電機・化学工業などを中心とした企業集団を形成、現在に至る。
古河財閥の主要な傘下企業は以下の通り。古河鉱業(現・古河機械金属)、古河電気工業、富士電機製造(現・富士電機)、富士通信機製造(現・富士通)、横濱護謨製造(現・横浜ゴム)、旭電化工業(現・ADEKA)、日本軽金属、帝国生命保険(現・朝日生命保険)、古河銀行(現・みずほ銀行)、大成火災海上保険(現・損害保険ジャパン日本興亜)、古河商事(破綻)、日本農薬、関東電化工業、東亜ペイント(現・トウペ)、大日電線、日本電線(大日電線と日本電線は合併し大日日本電線を経て現・三菱電線工業)など。また、戦後に設立された主要な古河系企業として日本ゼオン、富士通ファナック(現・ファナック)、UACJ(旧古河スカイ)、古河電池などが挙げられる。

鉱工業を中心に発展した財閥で、上記財閥と並んで日本の産業振興に多大な貢献をしてきた。機械・電機メーカーとして現存する企業も多数あり、PCメーカーでもある富士通とその系列の母体でもある。

Category:日本の財閥・コンツェルン(wiki)を見ると、庶民にはあまり知られていない(現存しておらず過去に隆盛を誇った)財閥がかなりの数掲載されている。それでもその片鱗を残し、富裕層として現在もお金持ちである一族も多く、現存する(ゆかりのある)企業名や一族の名前や著名人の出自を知ると少し驚くような人もいる。

鴻池財閥:wiki
鴻池財閥(こうのいけざいばつ)は、江戸時代に成立した日本の財閥。16世紀末、鴻池家が摂津国川辺郡鴻池村(現・兵庫県伊丹市鴻池)で清酒の醸造を始めたことにはじまる。その後、一族が大坂に進出して両替商に転じ、鴻池善右衛門家を中心とする同族集団は江戸時代における日本最大の財閥に発展した。
(中略)
明治維新において、鴻池家は大名貸を帳消しにされて大きな損失を被ったとも、それほど大きな痛手は蒙らなかったとも言われる。しかし、鴻池家は維新後も、金融業から他の事業へ営業分野の拡大はあまり図らなかった。維新後のいろいろな起業の発起人には多く鴻池善右衛門(幸富)が名を連ねているが、同家の名声を利用するために誘い込まれたものも多い。明治以降の鴻池家の営業方針は堅実を旨としていたため、政商としての性格を色濃く持つ三井のように、藩閥政府の成長政策と歩調をあわせて急速に発展することはできなかった。1877年に善右衛門が設立した第十三国立銀行(のちに鴻池銀行)も他の諸銀行に次第に抜かれ、一地方銀行へと後退していった。
(中略)
第二次大戦後、財閥解体や農地改革によって鴻池家は甚大な被害を受けた。

三菱東京UFJの母体となった銀行の一つである三和銀行は本店を大阪に置く、三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の3行合併によって生まれた銀行で、その後度重なる銀行合併によって今は「鴻池」の名前は全く残っていない。

しかし東大阪市の「鴻池新田」と言う地名は、4代目 鴻池善右衛門 宗貞(むねさだ)が宝永2年(1705)、河内国若江郡(現 東大阪市)で石高一万七千石の新田を開発したもので、そのまま地名となって「豪商-鴻池」の名残を残している。

鴻池新田
鴻池新田:Googlemap

また、余談としては、つい最近知ったことだが(^^;)私の住む地域、それも徒歩圏にこの鴻池財閥ゆかりの建物が移築されていた。

みやけ1
みやけ2

みやけ 旧鴻池邸表屋
みやけ3
旧鴻池邸表屋は(鴻池善右衛門家の今橋本邸)大阪市今橋にあった建物で1837年大塩平八郎の乱で焼失するもののその後再建されました。広さは間口36間、奥行き20間、表屋造りの巨大な町家建築です。(1間は約1.8182mに相当)再建されることにより江戸時代の豪商の住まいの様子を後世に伝え、戦後は大阪美術倶楽部の会館として使用されておりました。
しかし、1979年に大阪美術倶楽部の改装に際して表屋が撤去される事になりました。歴史的建造物であることから保存を求める声が市民からあがったものの財政難を理由に拒否されます。そこで三宅製餡株式会社の二代目社長 三宅一真が「なんとか船場のシンボルを残したい」とこれを引き取り、奈良市鳥見町の所有地に移したのです。

その後は「資料館」として使用されてきましたが、より多くの人に歴史的建造物に触れてもらいたいという想いから、「和菓子屋・カフェ」として生まれ変わりました。

写真を撮影したのは平日の午後(2016年9月)だったが、それでも駐車場はほぼ満杯。近隣の人もこの館を見に来ただけの人、スマホで私同様撮影する人(^^;)など、立地を考えれば少し場違いなほど人通りがあった。(表通りから少し奥まった場所にあるため、たまたま偶然に人通りが多かったといえるような場所ではない)また、この場所周辺には「三宅姓」のお宅が数軒存在するので多分親族だろう。奈良県内のグルメ情報には結構出てくる和菓子店なので一度行こうとも思うのだが、平日午後でこの賑わい、しかも女性客多しなので少々敷居が高い(^^;)

大倉財閥:wiki
大倉喜八郎は天保八年(1837年)に越後国新発田に生まれ、18歳で江戸に出た。21歳で独立、大倉屋という乾物店を開き、その後鉄砲屋を開業。その後貿易事業へと乗り出した彼は、大久保利通、伊藤博文、山県有朋らとの親交を深め、一代にして大財閥を築き上げた。
進取の気性に富む大倉喜八郎は、1872年に自費で海外視察を敢行。1873年に帰国し、日本人による初の貿易商社大倉組商会を東京銀座二丁目に創立し、1874年には日本企業として初めての海外支店をロンドンに開設した。1881年には土木事業に進出、日清戦争を背景に軍需品輸入会社の内外用達会社を設立した。

現大成建設・ホテルオークラに名を残す大倉財閥も本体の大倉商事が1998年に自己破産し財閥としては解体され消滅している。系列企業は日清オイリオやサッポロビール、帝国ホテル、リーガル(靴)などかなり有名な企業もあるが、多くは他財閥の傘下に入ったり系列から独立している。

知る人ぞ知る存在としての財閥・戦前の巨大企業として、高田慎蔵その一つの雄が高田商会を興した高田慎蔵で、日清・日露戦争時に軍需品を含む武器:機械類の輸入商社として海軍省御用商社となり豪商にのし上がる。
また、彼はテレビタレントで音楽家:葉加瀬太郎の妻である高田万由子の高祖父(祖父母の祖父)にあたる。高田商会自体は高田慎蔵の死後、経営破綻して財閥としての系譜は立たれてしまうが、この時代はこういう政府や軍関連で勃興した企業人や財閥が数多い。

↓下は2016年9月に放映された高田万由子のファミリーヒストリーで、高田慎蔵から経営破綻した二代目高田釜吉の系譜をたどる内容となっていた。

ファミリーヒストリー
ファミリーヒストリー:NHK


たまたまこの番組を見たが、一部で知られている「お嬢様タレント」「高学歴タレント」の高田万由子にしては自分の出身一族の歴史は詳細を殆ど知らず、高田慎蔵のスケールの大きさ、当時の高田商会の富豪ぶりに素で驚いている姿が印象的であった(^^;)

また、当ブログで数回紹介している星一も明治時代後半から昭和初期(戦前)において、急成長と崩壊に至った代表的な企業家である。

星一星一:wiki
星 一(ほし はじめ、1873年(明治6年)12月25日 - 1951年(昭和26年)1月19日)は、福島県いわき市出身の実業家・政治家。略称、ホシピン。SF作家星新一の父。写真植字機を開発した石井茂吉と森澤信夫が出会うきっかけとなった星製薬を築いた。また、星薬科大学の創立者。
それまでは輸入に頼っていた、外科手術に不可欠なモルヒネの国産化に成功する等、「東洋の製薬王」と呼ばれた。星製薬はチェーンストアという販売方式を日本で初めて確立した。野口英世やフリッツ・ハーバーのパトロンとしても知られる。なお、彼が発案した『三十年後』はSF小説であるため、それが長男の親一(新一)と関連付けて語られることがある。


第1次世界大戦の始まった翌1915年(大正4年)モルヒネ(麻酔薬)の国産化に成功した星製薬は、他にもキニーネ(マラリアの特効薬)などそれまで輸入に頼っていた医薬品の多くを国産化し巨大企業に急成長するが、モルヒネとはいわゆるアヘンの生成物質であり、医薬品であると同時に軍需物資である。

その後、国内の政治事情によって星製薬(というか星一個人)は徹底的に攻撃されることになるが、今後検証していく歴史の流れを見ると、(モルヒネに代表される)国際的麻薬ビジネスの流れに翻弄されたようにも見える。そちらは別の機会に言及することになるが、現在に至るまで脈々と存続している企業や廃れた企業、それぞれに「軍産複合体」としての役割を果たしてきたことが伺える。

経済の発展に多く寄与しているとはいえ、平和の顔をしている現存する企業の多くは、海外の(外資系)企業と同じく、少なからず血塗られた歴史とともにあることを忘れてはならないのだ。

<関連記事>
●第一期
帝国の功罪(1)【ていこくのこうざい(いち)】大日本帝国の成立と発展
帝国の功罪(2)【ていこくのこうざい(に)】明治維新初期の産業と貿易
帝国の功罪(3)【ていこくのこうざい(さん)】江戸〜明治時代の教育レベル
帝国の功罪(4)【ていこくのこうざい(よん)】国民病「脚気」と「結核」
帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】北海道の光と影〜先住民族アイヌ
帝国の功罪(6)【ていこくのこうざい(ろく)】北海道開拓使の時代
帝国の功罪(7)【ていこくのこうざい(なな)】沖縄県民の歴史と感情
帝国の功罪(8)【ていこくのこうざい(はち)】廃仏毀釈と士族の冷遇
帝国の功罪(9)【ていこくのこうざい(きゅう)】売春婦と人身売買
帝国の功罪(10)【ていこくのこうざい(じゅう)】職業売春婦と慰安婦
帝国の功罪(11)【ていこくのこうざい(じゅういち)】日本軍の慰安所と慰安婦

●第二期
帝国の功罪(12)【ていこくのこうざい(じゅうに)】明治維新以前のアジア情勢と日本の安全保障
帝国の功罪(13)【ていこくのこうざい(じゅうさん)】明治維新の黒幕たち
帝国の功罪(14)【ていこくのこうざい(じゅうよん)】明治新政府の統治能力と藩閥
帝国の功罪(15)【ていこくのこうざい(じゅうご)】大日本帝国憲法と帝国議会の構成
帝国の功罪(16)【ていこくのこうざい(じゅうろく)】大日本帝国憲法の本性
帝国の功罪(17)【ていこくのこうざい(じゅうなな)】「天皇」の冤罪
帝国の功罪(18)【ていこくのこうざい(じゅうはち)】日本軍の黎明
帝国の功罪(19)【ていこくのこうざい(じゅうきゅう)】日本海軍と軍内部の抗争

●第三期
帝国の功罪(20)【ていこくのこうざい(にじゅう)】明治時代に勃興した財閥と軍事産業
帝国の功罪(21)【ていこくのこうざい(にじゅういち)】侵略という思想
帝国の功罪(22)【ていこくのこうざい(にじゅうに)】自由民権運動の変節

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