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赤貧【せきひん】

表題の赤貧とは、「赤貧洗うが如し」から来た非常に貧しく、生活するだけで精一杯、余計なものが全くないことを意味する。

赤貧洗うが如し:故事ことわざ辞典
【読み】 せきひんあらうがごとし
【意味】 赤貧洗うが如しとは、非常に貧しく、洗い流したように何もないさま。
【赤貧洗うが如しの解説】
【注釈】 「赤」は、まったく何もないことを意味する。
『先哲叢談』に「初め居を芝街に卜す。時に赤貧洗うが如く、舌耕殆ど衣食を給せず(芝の町に居住することを決めた。きわめて貧しく、書物の講義の給金くらいでは、ほとんど生活することができなかった)とあるのに基づく。
【出典】 『先哲叢談』

私自身、貧乏暮らしが染み付いて「赤貧」とまでは行かずとも「黄貧」ぐらいにはなっている(^^;)>信号機かよ

金目のものは全くと言っていいほど無い。このブログでも家電品を買った時などはネタにしている場合もあるが、殆どが格安品でフラッグシップモデルなどはまったくない。まぁ、昨年末に買い替えたスマホ「iPhone7Plus」が我が家で最も高価な家電品ということになる(爆)

corei3内蔵PCや32インチ1kハイビジョンテレビ、DVD-HDDレコーダー(アナログチューナー時代からの年代物)やネットチューナー+録画用HDDと、買い手もつかない旧型改造品に下から数えたほうが早いレベルのエントリーモデルだらけではあるものの、映像環境はそれなりに揃ってはいるのでこっちの方面ではあまり「貧しさ」は感じていない。ネットに利用しているケーブルテレビの多チャンネルサービスは加入していないので、最近ではもっぱらテレビ東京とBSの民放局とネットチューナーで入って32インチの大画面テレビで見るyoutube(時々画質の悪いのもあるが)がメインになってきているので、どうも世間の流行からは取り残され気味である(爆)

いい年をしたオッサンが、今さら若い連中の話題についていこうというのも図々しいというものだが(^^;)

若い頃の私は、資本主義には懐疑的で、社会主義的な平等を理想と思ったこともあったが、それが資本主義以上に幻想でしかなくむしろ悪質だとわかってからは(^^;)「貧しさ」に対する感じ方も随分と変わった。

生きるか死ぬかの貧しさは、もはや「貧富」とかの尺度で測るものではなく、生存可能な状況からようやく「貧富としての格差」が生まれてくる。継続して生き続けられているのであれば、貧しくとも「生死を分ける状況からは確実に豊かである状況」と言える。もちろん、到底満足できるものではないにせよ、生存が脅かされる極限状況ではないのは確かだ。

かつてこの国に完全なリサイクル社会が存在し、一部の富裕層は存在するものの、国民の大多数が「一歩間違えば飢餓状態に陥る」ギリギリの繁栄を築いていた時代があった。

一次生産物を傷んだからと廃棄するのではなく、何度でも再生し用途を変えてどうにも再利用できなくなるまで使いまわした。食材でも「始末をつける」と言う言い方で、野菜のヘタや根、魚のあらや骨に至るまで、出汁を取ったり潰して混ぜ込んだり残すところ無く、できるだけ生ゴミとして捨てないように工夫の限りを尽くした。

それらの全ては「貧しさ」故に必然として「安易な消費ができなかった」事があるのかもしれない。しかしそれらはしっかりとこの国の精神文化として「貧しいがゆえの豊かさ」をもたらしていた。それは「貧乏を知恵を使って楽しむ余裕を生み出した」とも言える、「何でも工夫して価値を生み出すオタクっぽい日本人の特性」も相まって世界でもユニークに思われるほどの独特な感性を磨く土壌となった。明治維新までの江戸時代に、日本はそうした自国内での完全自給自足、究極にエコロジカルな生活様式を完成させていたのだ。

その多くは「近代化」の名のもとに失われていくのだが、その文化・精神性は別の形で発揮され現在の技術大国の礎ともなった。

「日本はみんなで貧しくなればいい」上野千鶴子氏の発言は何が問題なのか:THE PAGE

 上野氏は中日新聞とのインタビューで、人口が減少し、衰退していく日本社会について「みんな平等に緩やかに貧しくなっていけばいい」と発言しました。上野氏は、人口減少を食い止めることは不可能であり、人口を増やすには移民を受け入れるしかないが、日本で移民政策を実行するのは無理であると主張。このまま貧しさを受け入れるしかないと結論付けています。炎上ポイントは「貧しくなればよい」という部分と「移民は無理」という部分の2つに分かれるようです。

 「貧しくなればよい」という発言については、主に世代間論争的な話になっています。若い世代の人が、上野氏らの世代(上野氏は現在68歳)に対して「自分達だけ豊かな時代を謳歌しておいて、後は貧しくなればよいというのは無責任だ」と批判する図式です。「移民は無理」という部分に対する批判は、主にリベラル系の人たちから寄せられています。移民を拒否するかのような保守的な発言はケシカランというわけです。

 上野氏はガチガチのリベラル系とみなされている人物ですから、本来なら「移民を受け入れ、多様な価値観を許容する豊かな社会をつくりましょう」という趣旨の発言をするだろうと多くの人は想像します。
上野千鶴子
 しかしインタビューでは、「皆で貧しくなればよい」「日本では単一民族神話が信じられてきた」「多文化共生に耐えられない」など、かなり突き放した、皮肉めいた発言のオンパレードでした。

 日本は物質面では近代化を達成しましたが、精神面では前近代性を色濃く残した未熟な社会です。上野氏の発言を好意的に捉えれば、こうした状況に嫌気が差し、多少投げやりになってしまったのかもしれません。
上野千鶴子:wiki


「貧乏願望」なのか、別の意味での「自虐指向」(^^;)なのかはわからないが、上野千鶴子というリベラリストの言う「貧しさ」は江戸時代のような、大量消費とは全く異なる経済思想、消費志向を指しているような気がする。

だとするならば、私も少なからず同意できる部分はある。AIによる労働からの人間の開放と循環型消費社会がうまく結びつけば、江戸時代のようなエコロジカルでコントローラブル・コストな「工夫の大国」も夢ではあるまい。

大体「高性能」とか、「ハイ・コストパフォーマンス」とか言うのは、少ないリソースで今まで以上の成果を出す点で、貧乏(ケチ)くさい志向なのだ(^^;)

人口が減少し、GDPが減っていく未来には、それに見合った社会体制に変化させていけば良いのであって、旧来の大量生産・大量消費など、技術の進歩があまりに早すぎて「大量廃棄」まで生み出す「過剰生産」「人・物・金のすべてを浪費する」社会になってしまっている。地球の資源が有限だというのなら、人口爆発は止めるべきだし、日本の人口が減少に転じていくのであれば、生産性の向上・無駄の除去で「皆で少し貧しく、皆で工夫する社会」へ変化すべきではないのか?大量生産のための技術革新ではなく、有効利用率向上のためのシステム技術や生産技術こそがこれからの「生産性の向上」と呼ぶべきではないのか?

大量廃棄
<画像元:ベジ漫画Natsumiのビーガン日和>

老齢人口もやがて死とともに急激な減少に転じる。残された若い世代で民族の血脈が守れるかどうかは、去りゆく世代が次の世代のために何を残していけるかにかかっているようにも思う。

だから、「浪費こそが豊かさの象徴」であるなら、私は喜んで「清貧・赤貧の生活を(って、今のまんまだけど)享受」しようと思うのである。(爆)

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