ブログパーツ
<< 2017年07月04日のつぶやき | home | 2017年07月05日のつぶやき >>

野獣狂うべし【やじゅうくるうべし】

最近エンターテインメント系の映画を見ていない(^^;)最後に映画館で見たのはいつだったか・・・ああ、スカーレット・ヨハンソンの「ルーシー」だ(^^;)あ、邦画なら「永遠の0」だ(爆)

もちろんドキュメンタリー系なら「アメリカン・スナイパー」とかがあるし、レンタルDVDならいろいろ見てはいるがもはや映画館で掛かることもなさそうな映画はDVDに頼るしか無い。それでも昔の映画の中にはVTR発売後DVD化されないものも少なくない。

DVD化されていることを知って借りて見たのが「ゆきゆきて、神軍」である。今見るとそれ以前のVTRから起こしたのかかなりの長尺動画がネットに上がっていた(^^;)

ゆきゆきて、神軍:映画.com

己れをたった一人の“神軍平等兵”と名乗る奥崎謙三が、終戦後偽日もたってから二人の兵士を“敵前逃亡”の罪で処刑した元上官たちを訪ね、真相を究明する姿を追ったドキュメンタリー。監督は「極私的エロス・恋歌1974」の原一男が担当。(16ミリより35ミリにブローアップ。)

1982年、兵庫県神戸市。妻・シズミと二人でバッテリー商を営む奥崎謙三は、ニューギニア戦の生き残りであり、69年に、死んだ戦友の怨念をこめて“ヤマザキ、天皇を撃て!”と叫んで天皇にパチンコ玉4個を発射した男である。奥崎はニューギニアの地に自分の手で埋葬した故・島本一等兵の母を訪ね、彼女をニューギニアの旅に連れていくことを約束した。奥崎の所属部隊・独立工兵第36連隊で、終戦後23日もたってから“敵前逃亡”の罪で二人の兵士が射殺された事件があったことを知った奥崎は行動を開始した。




2013-08-15 観るのに途轍もなく精神力を使うので要注意:魂の売れ残り
コレは個人的な見解ですけど、奥崎には恐らく一貫しての主義主張というものはなく、その場その時に奥崎が正しいと判断した物事こそが正義で善、自分が気に入らなかったり自分を否定する姿勢が不義で悪、という物差が全てなのだと推測されます。
反戦・反天皇・反権力みたいなスタンスはあるように思えますが、それは理屈や思想の裏付けがあってのモノではなく、個人的な体験に基いて敵意を抱いているだけ、という気配が色濃いですし。
自分の中に確固としたルールが存在しているが、そのルールが気紛れに変更され続ける特異な精神構造の持ち主で、しかもそんな自分に疑問を抱くコトはない、なんていうフリーダム過ぎる男を主人公に映画を作れば、ワケが分からなくなるのも当たり前ですね。

で、そんな奥崎の狂気というか衝動というか、とにかく尋常ならざる行為へと奔らせている原動力は、“敗戦の前年に捕虜になり、戦争末期の地獄を見ずに収容所で安楽に暮らし、生きて日本に帰ってきた”という経験に因るところが大きいと思われます。
そのコトへの罪悪感は奥崎も自著で述べているのですが、この作品では奥崎のそういった事情にまでは踏み込んでいないので、奥崎の奇天烈さというかサイコパス一歩手前のギリギリ感ばかりが強調される結果になっとります。

上記の映画紹介の一文などを見ると、奥崎が正常な告発活動をしているようにも思えるが本編を見ると数分後にその認識は打ち砕かれる。あれ?と思い始めて見続けると予見なく見始めた者は恐らく、ほぼ確実に奥崎の異常性に気がつくだろう。

倫理観とか正義感が妙な方向に振り切れて、正常と異常の間を行き来する世間的には間違いなく「キチガイ」と呼ばれておかしくない奥崎謙三は、私から見ると「面白くないコントを延々と続けている」ような痛々しさが感じられて、そういう意味でも戦争が人を狂わせる原因となる忌むべき行為であることは感じられるのではあるが、この人は元々こうなる資質を持っているようにも感じられた。
同じようなトラウマを抱えながらひっそりと日常に帰っている元日本兵もいて、彼等にとっては奥崎こそが「無茶を押し付けてくる軍上層部の亡霊」のような忌むべき存在にも見えたからだ。

やってることが一貫しているように見えながら、結構無計画で行き当たりばったりのコミカルにさえ見える空回りぶりに、まるで現政権に不満を訴え批判と攻撃を繰り返す「パヨク」の姿さえ垣間見えた。そうか、この熱意が伝わらないのは結局自己満足が見えるからなのか(^^;)

使命感と正義感が倫理観を狂わせて暴走していく様は反日売国パヨクと同じである上に、某隣国のメンタリティとカブる(^^;)奥崎のやっていることは穏やかな主張から賛同者を増やす協調型の抗議活動ではなく、一人で鉄砲玉になって攻撃を敢行するテロリストと変わらない。そこに自分なりの「正義」とやらが介在するからなおさら厄介だ。

奥崎は晩年周囲の人間に「感謝」の言葉を漏らしたとも、「罵倒・悪態」を突き続けたとも言われている。最後までその独善ぶりは変わらなかったとも見えるし、最後に自分にとっての正義すら見失った可能性もある。

そこまで考えた時、あるもう1本の映画が頭に浮かんだ。



奥崎に比べればめちゃくちゃかっこいい松田優作の代表作とも言えるハードボイルドアクションだが、彼の演じる狂気の犯罪者「伊達邦彦」は原作の大藪春彦の描く人物とはかなり変質しているらしい(私は原作を読んでいない)。

映画ならではの人物設定に置き換えられて、ダークヒーローとしてよりも狂気に陥った人間の自己崩壊へ至る道程を描いているようで、それはそのままこの映画が公開された当時の「時代の閉塞感によって圧殺される個人の意識」が表現されているように思えたからだ。

行動も結末も全く違うし、方やリアルな現実である奥崎と時代を暗喩する象徴として描かれた伊達という陰惨な犯罪者はその底流に「戦争によって開花された狂気」と言う設定がある。

伊達は大仰な思想の主張も正当化もしない。ただ本能の赴くままに破滅へと突き進む。奥崎はまるで死に場所を探すかのように無駄な正義を振りかざすパフォーマンスに終止する。

伊達はかつてのリアルで好戦的なレジスタンス革命戦士を彷彿させ、奥崎は卑屈で自己満足と自分を評価しない世間への怒りを相手にぶつけるだけの破壊活動家を連想させる。

いすれにしても自分の心を制御する理性を失ってしまえば、誰でも奥崎や伊達に変貌してしまう極めて不快で薄ら寒い可能性が、この2本の映画から最もリアルに感じられる恐怖なのだ。



東京都議戦後の首都にこれから起きる混乱も、ひょっとすると「既得権やがんじがらめな過去のしがらみからの無軌道な開放」によって引き起こされるのであれば、これは「アラブの春」のような中東地域で吹き荒れた「無秩序の自由による混乱」と変わらず、いずれ無数の奥崎や伊達を生み出す温床になりかねないことを感じた。

首都とは遠く離れた西日本から、対岸の火事としてこれを見ていられるのはいつまでだろう?いや、近い将来その火の粉が日本中に降り注ぐことはないのだろうか?あの民主党による政権交代のように(爆)

無いとは思うがその警戒だけは怠らないようにしなければいけない。都民Fの大勝利が変な方向に振れ切った先にあるものをやはり注視せざるを得ない私なのである。

JUGEMテーマ:映画



Posted by soup2001 | -  -



スポンサーサイト

Posted by スポンサードリンク | -  -



S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>



目次&ランダムピックアップ
現代用語のクソ知識の目次

当ブログの目次(管理人のオススメ一覧)です。かなり古い時事問題に関する記事もありますが、当時を思い出してご覧いただけると幸いです。

2017年5月分よりtwitterまとめエントリを自動投稿するように設定しており、通常エントリが遡りにくくなっているため、通常エントリだけの目次を下記においておきます。

2019年4月の通常エントリ
2019年3月の通常エントリ
2019年2月の通常エントリ
2019年1月の通常エントリ
2018年1〜12月の通常エントリ
2017年5〜12月の通常エントリ



↑上のボタンを押すと、ランダムにエントリを表示します。
もしもエラーページが出たら、ごめんなさいm(_ _)m「戻る」ボタンでエントリを表示するまでお試しください。

言い訳ページはこちら(^^;)
---------------------------------
ブログパーツ

---------------------------------




マウスコンピューター/G-Tune

 RSSリーダーで購読する

Profile
Archives
Recent entries
blog parts
Links
tools
Categories
Mobile
qrcode
Sponsored links
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
このblogのfeedburner