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日本人とユダヤ人【にほんじんとゆだやじん】

今読んでいる書籍に関してのエントリである。

「日本人とユダヤ人」イザヤ・ベンダサン(山本七平)著を読み出して間もないが、まだ半分も行かないうちから驚きの考察、日本人の分析が秀逸で舌を巻いている。私は時折ブログ用に後で引用入力できるように付箋を立てたりしているが、数ページ毎に1本が立ち、本を読み終えるのが先か付箋の紙がなくなるのが先かというような状況になっている(爆)



以下に少し書き出してみる。

「地震・雷・火事・おやじ」これは私たちユダヤ人にとって、実に興味深い言葉である。この中には、戦争も、伝染病も、ジェノサイドも、差別も、迫害もない。
P.21

これらの災害には2つの大きな特徴がある。一つは無差別だということ。簡単にいえば、そこにいるユダヤ人だけが災害をうけ、他の人は平穏無事だということは絶対にない。もう一つは一過性ということである。過ぎ去れば終わりであって、地震は一瞬、台風は文字通り一過、火事も焼け落ちればそれで終わりである。確かに日本でも最近は人災という言葉が使われている。しかしこの語も、「天災への配慮不足」という意味であって、本当の意味での人災ではない。人災とはユダヤ人が受けてきたような災害に用いられるべきであろう。これは「一過」しない。千年でも二千年でもじりじりとつづいて、いつ果てるともないのである。日本人はあらゆる災害を天災とうけとめる。従って「過ぎ去って」しまえば「まだ煙のたつ焼け跡で、早くも復興の槌音」となる。
P.23〜24

話は横道にそれるが、これはまた「日本人は秘密を守れない」と言う通説に通じるものがある。確かに日本人には「秘密=罪悪」といった意識があり、すべて「腹蔵なく」話さねば気が休まらない。と同時に、秘密を守るということがどういうことか知らない。アメリカ人はずいぶんアケッピロゲに見えるが、守るべき秘密は正確に守る。
P.29

「腹をわって話す」「口でポンポン言う」「腹はいい」「竹を割ったような性格」こういった一面がない日本人は、ほとんどいないと言ってよい。従って相手に気をゆるしさえすれば、何もかも話してしまう。しかし、相手を信用し切るということと、何もかも話すことは別なのである。話したため相手に非常な迷惑をかけることはもちろんある。従って、相手を信用し切っているが故に秘密にしておくことがあっても少しも不思議ではないのだが、この論理は日本人には通用しない。
個人の安全も一国一民族の安全保障も、原則は同じであろう。(中略)知らせないこと、知らないことも安全には必要だなどという議論は問題にされない。さらに防衛費などというものは一種の損害保険で、「掛け捨て」になったときが一番ありがたいのだ、ということも(戦前戦後を通じて)日本では通用しない。
P.30

深窓に育った令嬢や過保護の青少年は、何かちょっとしたことに出会うと、すぐに思いつめてしまう。大学受験に失敗して自殺したなどはその典型的な一例であろうし、いわゆる一家心中も、多くはこの部類に入る。ユダヤ人などは、もし思いつめていたら、とうの昔に一家心中ならぬ民族心中をやらねばならなかったであろう。
P.31

議論とは何十という珍案・愚案を消すためにやるのであって、絶対に、「思いつめた」自案を「死すとも固守」するためでないことでないことは、各人自明のことなのである。
P.33


笑えるほどに簡潔に的確に日本人の特徴が記されている。最も日本人が驚くべきことは我々が当然だと思っていた上記のような性質は「日本人ならではの」あるいは「日本人らしい」特徴だったことで「世界標準ではなかった」事実である。

なるほど日本の工業製品が世界市場に出ていけば「妙な付加価値がてんこ盛りについて高額化していて明らかにオーバースペック」だったり「多機能だがこれらの機能を全て使う人はいない」と評価され、シンプルな機能で低価格を実現した韓国や中国の製品にシェアを奪われる事は珍しくない。
日本人のオタク気質ゆえなのかとこれまで思っていたがこれは一種の「思いつめた」結果であろう。過当競争にさらされ他社との差別化を図るために多機能化しいわゆる「ガラパゴス」な製品になっていることである。

また安全保障を掛け捨ての保険とズバッと言い切る簡明さは気持ちがいいくらいの切れ味である(^^;)

引用の最後の一文などは「たった一つの価値観に固執して思考停止しやすい国民性」を表してるし現在の「護憲派」「沖縄反基地活動」「反安倍勢力」に顕著な「死すとも固守する」ことに目的がロックオンされ、民主国家としての国益や国民全体における最大多数の最大幸福の原則または目的が完全に失われてしまっている。正に本末転倒である。

山本七平〜イザヤ・ベンダサンとの関係

山本七平山本死後の扱い
稲垣武は、上記研究会での説明および夫人の山本れい子の証言をもとに『怒りを抑えし者』(PHP研究所、1997年)「第9章ベンダサンとその時代」において、『日本人とユダヤ人』は、2人のユダヤ人(ローラーとホーレンスキー)との対話を参考とはしているが、構成も文章も山本のものと結論付けている。

同様に、『山本七平ライブラリー』編集部もライブラリー13および14(文藝春秋、1997年)の奥付の初出一覧の脇に、ベンダサン名の諸作品はほぼ山本の著作、もしくは山本を中心とする複数の外国人との共同作業、と考えられるというコメントを付している。

<画像元:「山本七平」学のすすめ>

2004年『日本人とユダヤ人』が角川oneテーマ21シリーズ(角川書店、2004年)から山本七平名で出版されたり、ベンダサン名で連載された「ベンダサン氏の日本歴史」(『諸君!』文藝春秋1973年1月以降22回掲載)が山本著『山本七平の日本の歴史』(ビジネス社、2005年)として単行本化されたりするなど、山本の死後10年以上経過してからはベンダサン名の著作が事実上山本のものとして扱われることが多い。

『七平ガンとかく闘えり』(KKベストセラーズ、1994年)では、息子である良樹の筆で、ベンダサンはあなたではという母の問に対して「まあ、そういうことなんだよ」と答えたと記されている(34ページ)。


「日本国紀」「日本国紀の副読本」「無私の日本人」と読んできた次のタイミングでこの本を手にとった私には「天の配剤」とも言うべき因縁を感じてしまう関連性の強さである。

通常なら読み終えてからレビューめいたことを書くのだが、この本には出だしから一発ガツンと食らってしまい「第一印象のレビューとして」エントリを上げざるをえなくなってしまった。しばらく更新も滞っていることもあるし(^^;)

もうすぐ発表から50年(1970年発表)にもならんとする著書の洞察の衝撃度はいつぞやのガメ・オベール氏のブログ以上であった(爆)

何にせよこのところの「日本史探求マイブーム」の流れで、近日刊行される百田尚樹+有本香コンビの「今こそ韓国に謝ろう。そしてさらばと言おう」や上念司氏の「経済で読み解く日本史全5巻」も予約を入れている(^^;)

これらを読んだ後、あるいは最中に再び関連エントリを上げることになるかもしれないと思うが、この一冊は久しぶりにインパクトが有った。これほどの内容に比してあまりにも静かな「山本七平」というインテリジェンスの存在を知らなかった自分を恥じ入るとともにようやく出会えた喜びをここに記しておきたいと思う(^^;)

JUGEMテーマ:日常。



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